中間〜新手間は筑豊本線を挟むようにして2ルートあり、あわせて3線区間になっていた(1912年)
ポインタを載せるとルートが表示されます。道路や街並、建物の向きからもなんとなくおわかりになるでしょう。ちなみに画面左上付近の炭坑(大根土)からは新手側へ向かって運炭線があった。
上の画像の中央下が筑豊本線とのクロス部分。
丸1地点。この先の線路跡は民家になっている。
丸2地点のクロス部分。煉瓦製なので3線増線時のものと思われる。この筑豊本線下り線のガーダー橋の北側には、「筑豊本線3線時代の中線跡(旧下り線)・旧上り線跡」と「現・筑豊本線上り線」があるが、香月線の3線が無くなってから造られた「現・筑豊本線上り線」にはクロスしている跡は無い。
丸2地点から下りルートに合流するまでは民家が建ち並んでいて、全くわからなくなっていたが、小さな水路を渡っていた橋台跡が民家の影に隠れて残っていた。付近の公園からズームで撮影したもの。
反対の道路側から。ここも煉瓦製のなので、筑豊本線のクロス部分と同じく敷設当時のものと思わる。