現在電化工事の進んでいるJR中間駅の出口を出て右側に駐輪場があり、その一角にこの石碑は建っている。ちょうど駅を降りたばかりの女子高生が、これ邪魔っちゃと言わんばかりに自転車を出して帰っていった。確か、この駐輪場に香月線の0番ホームがあったような気がするんですが・・・。なんせ最後に乗ったのが、小学生だった頃ですから、あんまり覚えてないんです・・・。
中間駅前から新手方面を見たところ。
線路跡は新しく道路が出来ており、横には「屋根のない博物館」と称した緑道が数百メートルにわたり続いている。モアイ像やスフィンクス、怪しげな石像などがならんでいる。道路の上に見えるの筑豊本線。
先の緑道から新手駅跡を通って筑豊電鉄のガードを抜けて岩崎駅跡に至るまでは道路になっている。ガード付近の民家には廃枕木の柵が残っていた。写真は岩崎駅から香月寄りにある黒川に残る橋台跡。
先ほどの橋台を進むと、写真の右側の林からの中から出てきます。ここは唯一線路敷が残っています。そして、再び黒川を渡ります。
黒川を渡り、大辻団地の高台に沿って左へカーブすると香月駅に着く。香月駅構内は日本最大のバス保有代数を誇る西鉄バスの香月営業所があり、高台の斜面には古びたコンクリートとレンガでできたホッパー跡らしき炭鉱遺跡を見ることができる。構内の先端には例の看板が・・。
香月駅からスイッチバックする形で筑豊鉄道という路線が北九州市八幡西区の野面(のぶ)という所まで延びていた。昭和29年10月1日廃止。