2015年12月30日、上山田線跡へ廃線パトロールに行ってきました。移動の都合上、平恒駅跡から・・。
穂波ライオンズクラブによって駅名標が設置されています。この地に鉄道・駅があったことを後世に伝える大事な郷土史の教材と言えるでしょう。ただ、チェックミスなのか残念ながら廃止年が違っています。正しくは1988年です。カッティングシート貼りなんで、修正がすぐに出来そうですが・・・。行く度にお伝えしようと思ってるんですが、いつもいらっしゃらないんですよ。
せっかく作るんだから、国鉄時代の駅名標の文字をトレースしてリアルに復刻して欲しかったなぁ・・なんて言うのは望み過ぎでしょうね・・(汗)
次は臼井駅跡。僅かに残っている貨物ホーム跡です。鉄道時代の電柱も残っています。
臼井駅跡の道路の端や擁壁のキワには「工」杭がポツンポツンと残っています。これは道路の東側。
これは西側。結構古そうな杭ですなぁ。
西側の杭から平恒方向を見たところ。
次の大隈駅跡に向かおうとしたところ見慣れない看板を発見。道路側からは裏側が見えているので、すぐにターンして板面を見てみると、なんと臼井駅跡の説明板でした。
平成26年に設置されていたのか・・。何度も通ってたけど全く気が付かなかった(汗) 平恒駅同様、これまで一目見て(読んで)駅跡と分かるものが全く無かったので、これは大変嬉しい説明板です。若い子たちに「ココは列車が走りよったんばい」と言ってもピンと来ないでしょうしねぇ。我々のような物好き(笑)は一見歩道のようなホームや杭等を見て駅の遺構として確認できるけど、一般的には判りにくいですしね。
おっと・・ここも西暦を間違っていたようですなぁ。
次の大隈駅跡。公園入口にある腕木式信号機は、ここに移設される前は公園内に建っていました。上山田線の上山田駅以西(油須原線延伸部分以外)で駅跡を示すものが設置されたのは大隈駅が初だったように思います。
数年前に駅名標も設置されました。文字が国鉄してていいですね!
この日は気持ちのよい青空が広がっていました。
大隈駅跡の次は嘉穂信号場跡ですが、道路になってしまい、漆生線の擁壁が残るのみなのでスルー。その次の下山田駅跡の間には新原トンネル跡の説明板がありますがスルー。さらに駅跡を示すものが何も無い下山田駅跡もスルー。上山田駅跡へ進みます。
上山田駅の構内跡は生涯学習館・図書館・市バスのりば・公園になっています。その一角に上山田線を説明する案内板と踏切警報機があります。
が、劣化しすぎて全く内容が読めません。これでは説明板の意味がありませんな。新しい板面に交換したらどうでしょうか?
ちなみに設置当初の写真はこちらのページの一番下。
踏切警報機は1989年5月製でした。あれ?廃止は1988年だったような・・。ということは、どこか別の線で撤去された分を持ってきたんやね。
下山田側にはちょっとした公園があり、ドームパーゴラまわりの遊歩道にはマクラギが使用されています。
ドームパーゴラの天頂部を見上げると、可愛らしい列車が走っていました。
柱には上山田線の歴史が学べるプレートが貼られています。
山田への鉄道開通、廃線後、熊ヶ畑地区で開催されているトロッコフェスタまでの歴史が分かる内容になっています。
熊ヶ畑方向へ進みます。上山田駅跡からしばらくは線路跡道路が続きますが、山田川へぶつかった丁字路交差点からレールが残る線路跡になります。写真は第1山田川橋りょう跡。
r441百々谷交差点近くの小夜踏切跡(飯塚より15K414)から上山田方向を見たところ。この草むらの中にレールがあるんだよなぁ・・。踏切跡と分かる唯一の遺構の縁石を確認して先へ進みます。
第2山田川橋りょう跡。よしよし、まだキロポストも残っておるな。
少し熊ヶ畑方向へ進んだところから上山田側を見たところ。レールとマクラギがバッチリ残っている区間です。道路からもよく見えます。この先、第3山田川橋りょう(現存せず)まで断続的にレールが残ります。そして、対岸から少し残り(土砂崩れで一部埋没?)、赤池踏切跡(飯塚より16K440)で分断され、再び熊ヶ畑駅跡手前までレールが残ります。この区間でトロッコフェスタが行われます。
熊ヶ畑駅跡付近よりトロッコフェスタの熊ヶ畑駅跡側の折り返し地点方向をみたところ。手前に見えているのは長原川橋りょう跡。左に見切れているのも長原川橋りょう跡。実はこっちは複線分ほどの幅員がある謎の橋梁。
熊ヶ畑駅跡。駅跡を示すものは何もありません。
熊ヶ畑駅跡から少し進んだところの未旨踏切跡(飯塚より17K565)から熊ヶ畑トンネル方向を見たところ。線路の露出度がいつもより高め?ですが、電柱、制御箱等、いい具合に荒廃してますね。
熊ヶ畑トンネルの手前からトンネルを見たところ。この辺一帯は獣害防止柵が貼られているためトンネルまでは行けません。写真は柵の隙間(結構大きめでスカスカ)から撮ったもの。たまに柵が開けっ放しの時もありますが、この日は施錠されていました。
一旦線路跡から離れ、峠道を下りて熊ヶ畑トンネルの真崎側へ行ってみました。レール盗難事件以降、簡易的な柵が設置されていますが、実は右下から入れるようになっていました。ちょっと前に来た時は、なぜか坑口に保温マット?が立掛けてあり、捨てないで的なことが書いてありました。誰かが中で走ってる?いや、歩いて運動してたのかなぁ・・・。
あれ?なんか貼紙がしてあるぞ。
おぉ、ついに「立入禁止」来たか・・・。
懐中電灯持って踏破したのが懐かしいよ・・。
熊ヶ畑トンネルから真崎駅跡までの線路跡は雪舟ロードという遊歩道になっています。
その先はカルバートがあり、様々な絵画が並ぶ「荒平カルバート美術館」になっていました。このカルバートは、この映像を見る限りでは上山田線現役時には無かったようです。私は上山田駅〜豊前川崎駅間は1度しか乗ったことがないので記憶が全くありません・・。
雪舟ロードはシーズンオフのせいか誰も歩いていません。年末やし(笑)。
写真は町原橋りょう跡。
写真は第三安宅川橋りょう跡。
この目の前にあった英彦山湯~遊~共和国は2007年に閉館しました。
真崎駅跡手前に残っていた踏切跡(真崎踏切・飯塚より21K900)は交差点改良工事に伴って無くなってしまいました。同時に踏切ありの道路標識も撤去されました。
真崎駅跡に残るホーム。工事の度に少しずつ短くなり今の長さに落ち着いています。
電飾らしきものがある。
もしかして夜はピカピカしてるのか?(笑)
誰や?脱線させとるのは!
駅構内に建っていた工力柱も健在です。
最後に東川崎駅跡を見て、豊前川崎駅前まで行って今回の廃線パトロールは終了。写真は東川崎駅跡の石碑の前から豊前川崎駅方向を見たところ。大型遺構が撤去等の大きな変化はありませんでした。今後もパトロールを続けてまいります!