真崎駅を出て線路道に入ると、さすがに元鉄道線らしく急なカーブも無く直線が続く。廃線跡の道路はこのような感じのものが多い。室木線や添田線でも同じ様な光景を目にする。
田園地帯を突っ走る線路道をしばらく進んで行くと右手に「国鉄上山田線東川崎駅跡」の碑が建っていた。駅の痕跡は全く無く、ただこの碑があるのみ。
碑の裏には簡単な沿革が刻まれていた。
昭和38年12月 第4工区(東川崎〜豊前川崎)工事着工
昭和41年3月 漆生〜山田〜豊前川崎間開通
昭和63年8月31日 上山田線廃止
川崎町
ここを道なりに進み、いくつか交差点を越えつつ右にカーブすると、目前に豊前川崎駅が見えてくる。
豊前川崎駅から数百メートル手前の部分。右から来るのは日田彦山線の列車。その左の車止めが上山田線跡と思われる。ここで上山田線も終点。
飯塚〜上山田間は歴史も古く、石炭輸送という重要な使命を果たしたが、上山田〜豊前川崎間は石炭輸送もなく油須原線としての機能も発揮できず、非常に無念な区間であったと思う。それに関わった人たちは今ごろ何を思うだろうか・・。