筑前宮田駅前のロータリーから左へ向って、駅構内跡をまわるようなかんじの細い道路を少し歩くと左側(宮田方)にこの橋台が現れる。この橋台の裏の盛土を進むとすぐに構内に抜ける。宮田駅のホームがあった場所よりも終端側にスイッチバックする形で進入していたようである。そこには貯炭場があり、ホッパーから貨車に次々と石炭が積まれ、若松や戸畑などに何十両と連ねて運んでいたそうである。この反対の六坑方には橋台跡はなく台形断面の盛土が草に埋もれて真っ直ぐ六坑に向かって続いている。
上の盛土を進んで行くと八木山川の橋梁跡に出てくる。このの画像は宮田側の橋台跡。飯塚方面からこの川沿いの道を車で走っていたら、たまたま発見して詳しく調べるきっかけになった思い出の遺構。
こちらは六坑側の橋台跡。ここから次の犬鳴川の橋梁跡までの線路跡は幅の広い直線道路になっている。
直線道路を進んで行くと犬鳴川の土手にぶつかる。ここは県道21号線を直方方面から走ってくると左側に見え、比較的発見しやすい。現存する遺構の中でも一番に目に付きやすく、遺構としての雰囲気も一番だと思います。まだバイクに乗っていたとき、意味もなく何度も来た覚えがあります。あっ、右隅に白鳥がいるっ…。
県道21号線とクロスしていた場所まで盛土は続いている。盛土の向こう側に川を隔てて県道がある。盛土の上には草やら木が生い茂っていて、とても歩ける状態ではなかった。左側が六坑方で右は宮田方。右の橋梁跡は上に載っているもの。
さっきの写真の左にちょこっと見えていたのがこのコンクリート橋。色が結構白いので比較的新しいものであろうか?近くに寄ってみると蔦系の植物の枯れたヤツがいっぱいぶら下がってて、気持ち悪かった。真夜中来ると結構怖いかもしれん。ここは犬鳴川の土手からしか見えず、県道側からは見えないので発見しにくいのでは?実際、私も調査するまでしらなかった。
県道とクロスしていた場所。ちょうど羅漢橋というバス停のあたり、ここで盛土も終了。1996年まではここにも橋台跡があった。いつもここを通る度に、いつかは壊されるんだろうなと思っていたら、しばらく来ないうちに撤去作業が進んで行って、気がついたらなくなってしまった。すごく悲しかったなぁ。一言言ってくれよぅっ!って感じでしたね(汗)
上の場所から県道をはさんで反対側を見たところ。ここから盛土があったようである。そして、左にカーブして六坑に続いていたようだ。今はご覧の通り、立派な道路が出来ています。六坑のあった場所には住宅が建ち並んでおり遺構を見つけるのは容易じゃなさそう・・。
上の写真の中央にある白い壁の家。その隣にこの橋台跡はある。六坑へ下る方向と分岐した支線のものであろう。この上には立入禁止の柵があり、中を見れなかった。