百谷でテレビ取材班と合流し、本格的に廃線ウォーキングスタートです。まずは第1山田川橋りょうへ向いました。デジカメ不調で画像はありません。そこからレールの残っている路盤を歩き、左写真の第2山田川橋りょうへ来ました。
※この時の廃線探索や自宅作業部屋でのWEBサイト作成の模様は某テレビ局の♪うっうーうっうーいぇー♪な番組内で放送されるはずでしたが、福岡西方沖地震報道の影響でお蔵入りになりました・・。
熊ヶ畑方橋台にある銘板。設計は下工。設計荷重はKS-16(KS-18かもしれん)。
熊ヶ畑方のトラフガーダーにある銘板。こちらは鉄建公団です。設計荷重はKS-14です。ここも上山田〜真崎間に残る多くの構造物と同じように下工と鉄建公団のものがあります。橋台と桁で7年のブランクがあります。
第2山田川橋りょうから熊ヶ畑駅跡まで歩きました。たった2ヶ月の間に路盤上の草がさらに枯れてて格段に歩きやすくなってました。写真は熊ヶ畑駅跡の長原川橋りょう跡。そこに設置されてた水道工事の看板には「市道熊ヶ畑駅前通り線」の文字が!駅は無くなっているというのに道路名に残っているとは!驚きました。
この後、再び路盤を進み熊ヶ畑トンネルの途中まで歩きました。同行した取材班の強烈な照明によってトンネル内部の様子がよく見えました。再び熊ヶ畑へ戻り、解散の予定でしたが、下山田〜嘉穂信号場に動きがあるので見に行くことにしました。
下山田〜嘉穂信号場間の新原トンネル跡から信号場へ向かって歩きます。途中の電柱には「鉄道横断接近柱」のプレートが付いていました。こんな所にも鉄道を感じさせるアイテムがあるとは!
最近まで立派な木が生い茂っていた線路跡も見事に整備されています。話によると県道整備のためだとか。
法面にゴロンと放置されていた機器。
残っていた信号機も撤去されていました。
日吉峠の陸橋の真下、嘉穂町側の路盤は手が付けられていませんでした。レールやマクラギはありませんが曲線標やキロポストは残っていました。県道整備によって嘉穂信号場付近の様子が大きく変わる可能性大です。今後の動きに注目しましょう。
今回の参加者。
おっちー、りんだ藪将軍、どらぽん氏、青地氏、途中参加の分オイ氏。
お疲れさまでした。