2002年9月15日に撮影。
磯光駅の最後の遺構だった、本線と菅牟田支線の小さな鉄橋跡には、道路化工事のための下準備か写真のような木枠と糸が張られていた。看板を見ると2002年内に工事が終るようである。
2002年10月26日に撮影。
鉄橋跡は完全撤去され、道路の下の小川を通すためのコンクリート構造物が建設中だった。これにより、磯光駅跡の遺構は全滅した。
2002年9月15日撮影。
一番上の写真の別アングル。もとの駅舎側より撮影。こちらから見ると、作業用の糸が張ってあるのがよくわかる。下には水の澄んだ川が流れる。炭坑全盛時にはこういった小川も真っ黒だったんかなー?
2002年10月26日撮影。
上のほぼ同位置より。小川を囲むような形でコンクリート建造物が作られている。かつては石炭発送量最大記録をつくるほど大量の石炭車が走っていた磯光駅は、今、石炭とは無縁の自動車が走る道路になろうとしている。