平成元年頃、廃止されてまもない佐賀線を訪問しました。
筑後若津駅跡です。可動橋を佐賀方面から来るとすぐ筑後若津駅がありました。当駅は階段を上がる高い位置にありました。沿線の方に話を聞くと、昔は若津港は賑っていたそうです。駅前には当時を偲ばせる洋風建築の建物が残っておりました。(写真右端)
可動橋です。今も残る遺構の1つ。当時はまだ、中央の信号場の信号機は生きており遠くから赤信号が見えました。
筑後大川駅構内です。
本屋側と島式ホームがありました。家具の町、大川らしく構内は広々としていました。
筑後大川駅前です。
当駅は国道から入ったカーブの道の途中にありましたから駅前は狭かったです。(なんと〜画面中央には当時の私の愛車・・・パルサーヨーロッパが見えます)
筑後柳河駅です。
ヨーロッパ調の駅舎に和風な細工がしてあります。駅は街中から橋を渡りすぐ左手にありました。この駅前も狭かった・・・最終日には駅前は人々で混雑しました。
駅舎内は、もー何もありません。水郷・白秋の里・筑後柳河の文字が寂しく残っていました。2度とお客様を迎える事の無い駅は寂しい限りです。
当駅も構内は大川とよく似ていました。広い構内を見ると短絡線として建設され賑った当時が偲ばれます。(瀬高方面を望む)
佐賀方面に向って線路は続いてました。2度と列車はやってくることは無いという思いに浸りながら当時、佐賀線を後にした記憶が蘇ります。