支線の分岐駅だった上三緒駅。写真の駅名標は、現在使用されていない(おそらく3番のりばか?)ホーム上に残っている。当然ながら、駅名標には「ちくぜんやまの」の文字はない。しかし、このタイプの駅名版も最近見かけなくなりましたねぇ。
軽トラがあるところが筑前山野へ向かう盛土の跡。ディーゼルカーの通っているところが後藤寺線。画面は上三緒駅方面を見たところです。
写真はありませんが、数年前、後藤寺線に乗った時にここを車窓から見ると、ちょうど築堤の分岐点付近に使われてなさそうな謎の切替ポイントがあって、そこから分岐して並行するようにレールが数メートル放置されていました。もしかして、それが山野方面へ向かうレールの跡かもしれませんね。まだ残ってるんかな?
盛土を進むと工事車両がたくさん置いてある私有地にぶつかります。さすがにそこは通過できないので、反対側へまわります。反対側は遠賀川の土手になっていて、橋梁跡が期待される場所であります。以前から、水量の少ない時に橋脚跡と思われるアヤシイ構造物が見えるのは知っていましたが、近くで見たことがなかったので、今回は土手の中程まで降りて見ることにしました。盛土の進んでいた向きからして、線路跡のルートとピシャリ一致するので、橋脚跡に間違いないでしょう。川幅から推測すると、おそらく3本の橋脚があったんだろう。しかし、奥にはそれらしい物がないんだよね。それか、もともと2本で護岸工事とかして川幅広げちゃったとか。こんな勝手な推測するのも廃線跡探索の醍醐味!?
さすがに川に降りて、歩いてこの橋台跡まで行くほど根性はないので、土手から眺めることにする。やっぱり、煉瓦が積まれた土台の跡がある。それとご丁寧に周りを杭で囲ってあるのが気になる。
先程の土手よリ川を挟んで反対側へまわってみました。工事車両の向こう側が盛土跡です。橋台部分は護岸工事でかなり昔に取り壊されたと思われます。
上の土手より山野方面を見たところ、ここも立派な盛土があったんだろう。今は全くその跡はみることが出来なかった。廃止されて約40年も経っているので納得できる部分もあるわな。地形的に緩やかな勾配の盛土だったようでだ。
遠賀川を越えて緩やかな勾配の盛土を降りてくると、国道211号線とクロスする。それから先は道路に生まれ変わっている。左の写真は線路道独特の2本の直線並行道路。右の2車線の道路が線路跡。
線路跡の道路はここで途切れて横へ逸れ、その先は九州指月の工場敷地になってしまう。当時の線路はこの先、三井山野鉱業所(後の日本炭業新山野炭鉱)まで続いていたようである。稲築町誌にはすっかり寂れた駅構内の写真が掲載されていました。