■何ですかこれ?つづき・新事実!?(探訪日/2005.10.30)

当サイトに触発されて!?ココを探索された宗像在住の小林様からメールを頂きました。小林さんも橋台跡だろうと思っていたそうですが、画像に写っている道路橋上でたまたま通りかかった地元の方と思われる年配の女性に煉瓦橋台の件を尋ねたそうです。
すると「昔はこの道路(画像の道路橋)があそこを通ってたんです。 電化されたとき低すぎるということでこっちへ架け換えました。」と言われたそうです。で、もう一つの片側のみの煉瓦構造物に関しては「わかりませんねえ。」とのことでした。

そこで私は道路橋の設置年月日と電化の時期が一致すれば間違いないですね。と、小林さんにお返事したところ、お忙しい中わざわざ現地へ行って確認してくださいました。この橋は「新開(しんかい)橋」といい 「昭和36年3月」設置でした。確かに電化の時期が一致しており、やはり間違いないですね。ということになりました。後日、私も現地へ向かいました。今回の画像はその時のものです。
「新開橋」・・いかにも新しく作りましたって感じの名称ですね。

新開橋上から煉瓦橋台を望む。確かに高さ的には完璧アウトですね。
かつて旧道があった?頃の名残か、煉瓦橋台を跨ぐような形で電線が通っていました。

海側の橋台付近から。う〜ん、やっぱり角度が対象じゃないんだよね。なぜこういう形状になっているのかは、素人じゃわかりませんです。
ふと疑問に思ったのが、煉瓦橋台の道路橋って身近で見たことないんですよね。この辺にありましたっけ?実は人道橋だったのでしょうか?それにしても幅が広いような・・。実は木桁が架かっていたとか?ますます謎が深まります。

今度は山側から。前頁に書いたように橋台には床石が3つあります。左右は長め、真ん中のはそれらより短い。どんな桁が架かっていたのだろう。主桁の補強として真ん中にもあったのか・・。謎だ。

道路橋か人道橋かわかりませんが、それ以前は元々鉄道用橋台で未成線の跡を流用した!?ってのも少し思ったりして(笑)

山側の橋台裏には境界杭がありました。

再び海側に戻り、片側のみの橋台を見ていたらフェンスの下に煉瓦が転がっていました。そんなに新しくないし、家庭用でもなさそうだし、おそらく橋台のものと思われます。手に取って見てみると平の面に2つ刻印がありました。

刻印の拡大画像。「井桁の中にたぶん文字(判読不能)」と「ペットボトルのキャップを下から見たような丸に北」
どこのものでしょうか?煉瓦の刻印は色々あるようなので、ちょっと調べてみよう。