南小倉から延びていた山田弾薬庫専用線跡を辿ってみました。南小倉の下り方から分岐していました。最近までレール、廃枕木の柵があったようですが今は造成中でご覧の有り様です。「この辺」の罫線の先辺りにはレールが残っていました。
上の写真の「この辺」
ほんの少しだけレールが残っていました。踏切跡だなと思わせる痕跡もありました。
柵の向こう、南小倉側にもレールは残っているのか?
そばに犬クギが付いたままのマクラギがありました。ガーデニング用を置いたわけじゃなさそう(笑)
写真下部に光ってるのがレール。黒矢印へ向かって延びていたようです。街路樹が続いている所が線路跡道路。このT字路では踏切跡独特の一部でアスファルトの色が違う箇所がありました。
線路跡道路を進んで行くと橋があります。一見何の変哲も無い道路橋ですが、桁下へ潜り込むと橋台跡が残っている。
(画像提供/分オイさん)
線路道独特の微妙に狭い直線道路を進むと草むらの中に杭を発見。よく見ると「六一」と刻まれている。なんじゃこりゃ?用地杭か?と思い裏を見てみると・・・
裏面にも何か文字が刻まれているようです。半分以上埋もれていますが指でなぞってみると、ん?「陸軍」?マジっスか?そんなもんが残っていたとは!この線路は昭和16年に南小倉火薬線(のち陸軍線と改名)として敷設されたものなので、陸軍用地であっても不思議じゃない。ちなみに終戦後は米軍に接収されたのち昭和45年に使用中止、同48年に廃止になってます。ポインタを乗せると「陸軍」の字が表示されます。
さらに線路道を進みます。いくつか通りを横切りますが踏切跡は見つけられませんでした。
さらに進むと県道に抜ける手前で突き当たりになります。県道を越えるとアスファルトで埋まったマクラギ群が残っています。レール撤去後は飛び出ていたであろう犬クギは、何度も踏まれたせいか埋没しています。
しばらくこの状態で進みます。民家のすぐそばを通るので、生活感がもろに伝わってきます。
さらに進むとレールが残っている箇所があります。その先は山田弾薬庫跡地の山田緑地になります。
(画像提供/分オイさん)