引き続き大蔵線シリーズ。
筑前と豊前の国境線であった板櫃川に煉瓦橋台と橋脚の基礎跡っぽいのが残っていましたが、最近になって道路拡幅工事の影響か、橋台上の家屋が撤去されていました。
以下、写真3点は2007年4月のもの。
2009年7月19日は、このようになっていました↓
家屋があった所は更地になっていました。
線路跡は白い建物と右隣の細道だったと思われます。
筑前と豊前の国境線であった板櫃川に煉瓦橋台と橋脚の基礎跡っぽいのが残っていましたが、最近になって道路拡幅工事の影響か、橋台上の家屋が撤去されていました。
以下、写真3点は2007年4月のもの。
2009年7月19日は、このようになっていました↓
家屋があった所は更地になっていました。
線路跡は白い建物と右隣の細道だったと思われます。
その先の道は茶屋町橋梁の前まで続いています。
ここまで道路になるんでしょうか?それとも歩道? どのような形で影響されるのかわかりませんが、数少ない大蔵線の遺構ですので大事にしてもらいたいものです・・・。
ここまで道路になるんでしょうか?それとも歩道? どのような形で影響されるのかわかりませんが、数少ない大蔵線の遺構ですので大事にしてもらいたいものです・・・。
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