貝島炭鉱が閉山して最後まで残った専用線も廃止されています。積込場は撤去されてしまい、宮田B&G海洋センターの建設が始まっています。この時点では、まだ貨物営業は行われていたため、貨物ホームに数両の貨車が見えます。広い構内を持て余す何とも寂しい終着駅となってしまいました。
菅牟田方面へ向かっていた貨物支線は廃止されています。周辺は採炭による陥落池が見られます。線路自体も開業時に比べるとかなり地盤沈下していたそうです。これは宮田線に限ったことではなく、筑豊地区の他線でも地盤沈下に悩まされたようです。
宮田線の丸1のガーダー橋はまだ健在です。丸2の線路跡もまだ残っています。一時期、通学路として整備されたことがありますが、今は元に戻っています。左隅にある踏切から磯光方面の線路跡も健在ですが、藪化しています。
廃虚となった竪坑やホッパー、空になったシックナー、石炭車が連なっていた線路も広大な空き地となり、空虚な空間になっています。全体的に石炭で黒ずんでいましたが、徐々に緑が増えていってるように見えます。
積込場があった場所には新しい住宅が建ち並び、新菅牟田とは対照的です。1974年の画像には長屋が多く軒を連ねていましたが、撤去されて空き地になっています。