広い構内の側線には旧型客車から置き換わった50系客車が留置しているのが見えます。50系客車の普通列車はここ飯塚で最期を迎えました。上山田線は、ここから単線となる筑豊本線としばらく並走し、平恒駅の近くで分かれていました。
1面1線のローカル駅です。現在、線路跡は道路・歩道になっています。ホームの一部は縁石程度の高さを残して花壇になっており、季節によって様々な花を見ることができます。また、ホーム上にあった屋根付き待ち合い所・ベンチも残されています。筑豊富士と呼ばれる住友忠隈のボタ山は、まだ木が頂上付近まで生えてません。今は普通の山と思えるほど緑で覆われています。子供の頃はよく登ったもんです。
油須原線計画で開業した上山田線内の旅客駅(熊ヶ畑・真崎・東川崎)の中で唯一駅舎が無く、ホームだけのなんとも寂しい駅。現在は線路跡は道路になり、ホームがあった場所に駅跡の石碑があります。
今も日田彦山線の駅として健在。当時、多くの側線を抱えていた広い構内はどんどん縮小されて、現在は1面1線の寂しい駅になってしまいました。上山田線に目を向けると、道路のクロス部分がすべて橋になっている点には驚かされます。分岐してすぐの交差部分は91〜92年頃まで残っていたような気がします。
※1981年度分には臼井〜真崎間が写った空中写真がありません。