広大な敷地に幾つもの側線、ターンテーブルが2基(筑前植木側にも気動車区と繋がったものが1基←現存)、立派な扇形庫、直方機関区を抱え、石炭輸送に於ては一大拠点駅でした。石炭輸送華やかりし頃は一日中休むことなく動いていたようです。私の中で最も古い直方駅の姿は、まさにこの写真の頃で、既に蒸気機関車は姿を消し、申し訳なさそうに扇形庫で休むディーゼル機関車や持て余し感がある側線群、ホームの跨線テルハ、小編成のセラたち・・。2011年に新しい駅舎が完成し、様式美を感じさせる古い駅舎は取り壊される予定。扇形庫・直方機関区あたりは直方運輸センターの留置線が並び、山側の貨物側線が並んでいた場所には直方市立図書館や「ユメニティのおがた」が建っています。
ここから宮田線が分岐していました。一番端の側線に石炭列車が停車しているのが見えます。牽引機が直方側に付いているので、恐らく宮田線から入線した列車でしょう。勝野駅は筑豊本線が電化された際にホームが直方側に少し移転しました。よって、宮田線の列車が停車していた旧ホームも消えてしまいました。宮田線の線路跡は画面左下のカーブ部分の盛土とガーダー橋跡が残っています。
ここからは、幸袋線、新多・塩頭への各貨物支線が分岐しており、各線から集まる石炭列車を捌くために構内も大変広かったようです。島式ホームの鯰田側先端の切欠き部分が幸袋線のホームとして使用されていたようです。現在、駅は筑豊本線電化の際に橋上駅舎に生まれ変わり、周辺道路も整備されました。側線が並んでいた場所は駐車場・空き地になっています。新多への支線跡は一部が残っています。
ここからは鯰田駅に併合され、構内として存続していた鯰田炭坑駅への貨物支線が延びていました。側線には石炭車が並んでいるのが見えます。上りホームと遠賀川の土手の間にも側線があり石炭車が留置されています。現在、貨物支線、側線は駐車場や空き地になってしまいましたが、昔ながらの木造駅舎は今も健在です。
ここも多くの側線を抱えた駅でした。味のある古い木造駅舎は電化の際に橋上駅舎に生まれ変わり、駅前と駅裏が連絡通路で繋がりました。昔からの駅前は西口、新しく整備された駅裏が東口となります。側線や貨物ホームがあった場所は駐車場や駐輪場、東口になりました。ここからは後藤寺線が分岐しています。
広い構内に幾つもの側線が並んでいました。旧型客車が留置されているのが見えます。まだ50系客車が登場する前のことです。駅の左側には貨物ホームがありました。現在は殆どの側線が撤去されて駐車場に、貨物ホームは公園になっています。ここから上山田線が分岐していました。単線となる筑豊本線としばらく並走し、平恒駅の近くで分かれていました。また、飯塚駅に併合された忠隈駅への貨物支線も延びていました。
桂川駅に併合された豆田駅への貨物支線が見えています。ここにも少ないながらも石炭車が留置されていますね。DD51がたった4両の寂しい貨物列車を牽いて下っていく様子が見えます。現在は一部の側線が保線用に残り、豆田への線路跡も一部残っています。ここも電化の際に駅舎が新しくなりました。