■筑豊電鉄香月駅近くの川に残る橋台
香月線の調査後、香月駅から先、北九州市八幡西区野面(のぶ)まで、筑豊鉄道という専用線があったのを思い出したので、急遽調査を開始した。手元に詳しい資料が無いとき、まず私が一番先に行くのが川である。今までの経験上、橋台が残っている確立が高いんです。おおまかな路線図は頭の中に入っているので、あとはカンだけがたより。香月駅跡から中間方面へ向って、最初の信号を廃線跡の方へ曲がらず、真っ直ぐ進むと、左側にカーブしている民家の壁が見える。怪しい!そう思った私は、その壁の先端へまわってみた。すると川に出くわした。足もとを見ると何か構造物があったので、よく見えるように対岸へまわると、レンガ造りの橋台じゃありませんか!これこそまさしく筑豊鉄道の跡だ。もう一方の対岸には残っていませんでした。ここから先は、筑豊電鉄楠橋駅までまっすぐな道路が続いており、そのまま道なりに進んで行くと確かに野面の方に出ました。その道路が線路跡という確かな情報は得られませんでしたが、おそらくそうであろうと思います。筑豊鉄道はもともと、鞍手軽便鉄道として、大正4年1月1日に香月〜野面間3.8キロ開業。同日、2.3キロ地点に木屋瀬駅開業。大正4年7月15日、帝国炭業として合併。昭和4年9月4日、九州鉱業に譲渡。昭和10年6月19日、筑豊鉱業鉄道へ譲渡。昭和27年8月6日、筑豊鉄道へ譲渡され、昭和29年10月1日に廃止された。廃止されて44年、この橋台はここに鉄路があったことを伝えるたった1人の証言者だ。周辺環境から見ても、壊されることは当分ないかも。