幸袋線の起点になっていた小竹駅。10番線以上もあった側線はすでに撤去され、あんなに広かった構内もかなり縮小されており、過去の栄光を見ることはできない。構内の西側には新多まで延びていたかつての筑豊本線支線(昭和44年9月30日廃止)の土盛りが今でも残っている。また、線路をまたぐ道路を建設中とあって、いい味だしてた駅舎も撤去され、しょぼいプレハブ小屋になっていた。幸袋線の跡は一部レールは無いものの健在であった。ここではレールは雑草の中に眠っているがその脇に当時の物と思われる機器が残っていた。
小竹駅を出て2つ目の踏み切り、新多口踏切。
左と中央のレールは筑豊本線である。一番手前が幸袋線跡で、古そうな短い桁が残っている。踏切とここにはレールは無かった。桁の銘板は劣化が酷いため解読不能であった。また、この橋梁の手前側にも煉瓦積みの橋台跡があり、小竹駅の側線跡もしくは昭和20年6月9日廃止の小竹〜塩頭間の筑豊本線支線跡と考えられる。
小竹を出て3つ目の踏み切り、学校下踏切。
ここは踏切上にもレールが残っていた。
小竹駅方面を望む。筑豊本線電化の為、架線柱が並ぶ。その横を幸運にも?撤去を免れた幸袋線のレールが残る。
筑豊本線山の谷架道橋。ここから本線は遠賀川を渡る鉄橋へ上っていく。幸袋線はその横を下って目尾駅へ向かっていた。手前が幸袋線跡。この先は林に被われてしまい跡を見ることはできない。筑豊本線の車窓からは、ここから下って目尾駅跡へ向かっている様子がなんとなく判る。20年程前は雑草も少なく車窓からよく見えました。
私が目撃して20年たった結果がこれ。
どこになにがあるのかさっぱり判らないほど雑草たちは成長してしまいました。左奥に見える林の右下を下ってきて、この目尾駅跡に続いていました。右側に見える電柱辺りに筑豊本線が通っています。その先すぐに遠賀川の鉄橋があります。ここは国道200号線と幸袋線跡の市道とが合流する付近です。
雑草生い茂る目尾駅跡を徘徊していると(奥の方に畑があるので一応通れる)、バラストと思える石は転がっているんだが、遺構らしき物は見当たらない。廃止されて30年以上経つので無理もない、そう思いながら、ふと足元を見ると鉄のかたまりが・・。さらに靴で掘り返してみると、な、なんとレールじゃありませんか!おそらくこの前後の地中にも残っていると思われます。「発掘してぇ〜!」そんな気分にしてくれる遺構でした。実際、周囲は背の高い雑草に囲まれているので、とてもとても出来そうにないんですけどね。
よく見ると左側は2本、右は1本なのだ。ポイント付近だったのかもしれない。
ところで目尾(しゃかのお)って普通じゃ読めませんよね。難読地名の一つです。語源を調べたところ、「目」は「さかん」と読み律令時代に地方制度が施されたときの役名だったそうだ。「尾」は丘陵を意味する言葉。この付近にここの役人の下屋敷があったことから「目の尾」しゃかのおになったそうな。