●1月
山沿いと市街地との積雪深の差よw pic.twitter.com/6JR72TVdHp
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年1月22日
●2月
⚡️ "【遺構へ行こう】漆生線跡探索" 作成者: @web_otcheehttps://t.co/SQGjp6oAh5
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年2月19日
●3月
今日の運炭線立体交差跡。
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年3月26日
古レールは1930年・おなじみのマルエス印 pic.twitter.com/hQvJ6bfFxk
●4月
才田駅跡のレールが埋まってたのは、河川災害復旧工事の重機を通すためだったようです。第2才田川橋りょうを渡った先まで整地されていました。その先はみんな大好きなレールが残る藪❤️w#漆生線 pic.twitter.com/RZXxxTK5Pq
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年4月15日
キハ2004に乗ってます。 pic.twitter.com/p9JqlyXlQY
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年4月16日
今日の三井鉱山セメント専用鉄道跡 pic.twitter.com/SBr9XiVDKP
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年4月16日
トロッコ乗車中(2回目) pic.twitter.com/APeeqjDRUh
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年4月23日
あと、アイカツアニonに行ったのもいい思い出。 おじさんオールナイトで燃え尽きました(笑)楽しかったねぇ。ほぼ全曲かかったんじゃなかろうか。あらためて、こんな素敵なコンテンツに出会わせてくれた娘には感謝。ぜひまた福岡でやってほしいですね。皆さまお疲れ様でした〜
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年4月21日
#アイカツアニon pic.twitter.com/X3O5b3rTyT
●5月
今日の大島駅跡。
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年5月29日
西唐津側にカーブ状の線路跡地がある。 pic.twitter.com/N4XOQYujtv
●6月
折尾のアレを見に来た。
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年6月18日
これは生で見たほうがいいですばい。
ご飯3杯はいけますw pic.twitter.com/h0g5F4vaIH
●7月
現着。暑い。人大杉。orz pic.twitter.com/fGOebqX8Cd
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年7月8日
最初は窓口女史に発券出来ませんと拒否られたけど、連絡運輸説明したら調べてくれて無事発券してもらいました。面倒な客でスミマセン pic.twitter.com/URwOAsUmIp
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年7月9日
●8月
山の日なので娘と鉱山に来てみた。
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年8月11日
例年より人がとても少ない。
坑内気温14℃
涼しくてオススメ
⛏鯛生金山⛏
#山の日 pic.twitter.com/TgxaiHbB8U
●9月
でんちゃのせいで、いつまで経っても電車来んのやが( ̄^ ̄) https://t.co/WPv1U6O4ue
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年9月18日
●10月
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年10月9日
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年10月15日
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年10月29日
●11月
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年11月4日
@PRAUB
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年11月4日
起業祭ステージはこのあとスグ!19:30より! pic.twitter.com/EOzqO0YCWv
●12月
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2017年12月30日
前にも書いたことがあるけど、小学生の頃、北九州市営バスヲタでした。特に方向幕。昔の折尾車庫担当エリアのみだけどね。当時住んでた地域には市営バスしか走ってなかったので、興味がそっちに向いたのでしょう。西鉄バスには殆ど乗ったことがなかったです。
この動画の方向幕は2002年に入手しました。当時の北九州市交通局の公式サイトで方向幕譲渡のお知らせを見つけ、すぐに問い合わせました。どっぷりハマったあの頃のものではありませんが、昔住んでた地域の馴染みある地名が次々出てくる幕を手にしたくて購入。1本1,000円でした。前幕は大きすぎて保管に困るだろうな・・ということで後幕にしました。今考えると前幕も横幕も、あと向田エリアだけじゃなく若松エリアの幕も買っとけばよかったなぁ・・と後悔(汗)
買ったはいいものの、狭い部屋で転がして鑑賞するのは少し辛く、先日までクローゼットの奥に保管してました。昨年、実際に使われていた方向幕巻取り機を手に入れてたんですが、なんやかんやで、なかなか手が付けられませんでした。で、先日ようやく動かすことが出来ました。
実機は24Vで作動すると聞きましたが、我が家には24Vを発生させる機器も無く・・とりあえずググって、王道のNゲージのパワーパックに繋いでみたところ、動くのは動くけど遅い・・。次にバイクのバッテリー充電器に繋げてみました。するとNゲージの電源よりも早く動く。こりゃぁいいわ。
とりあえず、モーターに直結してるだけなので、電気が流れてる間は回ります。プラスとマイナスを逆にすれば反対に回ります。巻取り機の両サイドにマイクロスイッチがあって幕の穴を検知するような配線になっていますが、これは未結線。うまく配線すると1コマずつ進めるようになるんだろうな。
放置したままの路線図アーカイブも進めるか〜(汗)
その前に昔の路線図(バス停にビス止めしてる半円形鉄板のやつ、それの下にある古い路線図)のデジタル化だな。
テントには油須原線開通時の貴重な垂れ幕(コピー)が。いいですよね。こんなアイテム。
朝イチには間に合いませんでしたが、今回は比較的少ない!? 来たやつにすぐ乗れました。
雲ひとつ無い最高に気持ちのいい天気となりました。絶好のトロッコ日和です。
このカーブがたまらんですなぁ。
のんびりした環境の中、足元から脳天まで響く振動を感じながら進んでゆきます。
沿線住民の方が手を振ってくれました。こちらの乗客も振り返します。和む光景ですね。
折り返し地点が見えてきました。絶妙なブレーキさばきで停止目標に停めてくれます。
進行方向が逆になります。今度は熊ヶ畑駅跡方向へ進んでゆきます。
唸りを上げるエンジン(駆動用)とコンプレッサー(汽笛用)。
ホントにいい天気だ。山がこんなに綺麗に見えるなんてね。いいところだ。
ホームから見えていたカーブを逆から進みます。
ホームに戻ってきたけど・・あれ?次の客が居ない・・。(おかげで次もすぐ乗れたけど)
熊ヶ畑トンネル(本物)を抜けた、お隣の川崎町でイベントやってるから、そっちに客が流れたのかなぁ・・。
さぁ、熊ヶ畑トンネル(車庫)へ入りますよぉ〜
トンネル通過中〜
抜けた先の熊ヶ畑駅跡(駅の痕跡は無し)の手前で折り返します。
何度も書いてるけど、この辺、鉄道用地が広いんですよ。現役時、熊ヶ畑駅は片面1線しかなかった。計画時は交換設備を設置する予定だったんでしょうね。
再び熊ヶ畑トンネル(車庫)を抜けます〜。
到着〜。
このあと、待ち客が少なかったせいもあって、また乗りました。だって楽しいもんねぇ。
その後、プラレール広場にお邪魔し、いつもお世話になっている@Kenichi_Partyさんにご挨拶。
しばらく鉄・バス談義をしたのち、久しぶりに線路を歩いてみました。
熊ヶ畑駅跡手前でケーブル埋設の注意看板が落ちていました。
漆生線跡にも残っているタイプじゃなくて比較的大きいサイズのものでした。
マクラギも交換された部分がいくつか見られました。
マクラギは熊ヶ畑トンネルから持ってきてるそうなんですが、結構使ってしまっているらしく、今後どうしていいものか考え中とのこと。運搬のため軽トラでトンネルに入るのはいいが、マクラギを抜いているせいでバラストが凹んでいて、上下にグワングワンなって運転が大変!という話も聞きました(笑)色々苦労されているようです。トロッコ運営スタッフに鉄道に詳しい者(元従事者等)が居ないため、特に保線についてアドバイスが欲しいとのことでした。元保線マンがいればぜひご協力を!
また、秋もよろしくお願いします!
]]>写真の殆どが「けむりプロ」による「貝島炭礦鉄道1961-1964 」として出版されていたものからでした。実はこの写真集すっかり買うのを忘れてました・・。貴重な写真の数々で驚き。何度も見返しました。特に庄司(現・飯塚駐屯地)の採砂場の写真と解説が興味深かったです。石炭記念館のおいちゃんに写真集の実物を見せてもらいましたが、思った以上にしっかりしたモノで、これは早く入手せねば!と思いました。せっかくなので、何冊か置いて販売してくれればよかったのになぁ。写真集編集時には制作サイドから石炭記念館に貝島炭礦専用鉄道について色々と問い合わせがあったそうですよ。
その後、久しぶりに筑前宮田駅跡とその周辺にある貝島炭礦専用鉄道跡を探索してきました。
JR宮田線・筑前宮田駅のホーム跡。ガードレールの奥に続くモジャ地帯が線路跡。
駅の敷地は市道「勝野長井鶴線」新設ため分断されています。写真は道路からホームを見たところ。
新設された道路のそばに貝島炭礦専用鉄道の遺構が残ってますが、いつまで持つか分からんですねぇ。
↓下の写真の場所にはかつて橋台が残っていました。
↓これは2004年11月。六坑側の盛土から撮ったもの。
↓これは1997年12月。
六坑へ続いていた盛土は一部崩されていますが、まだ残っていました。
ここもいつか市道が通るんでしょうなぁ。
その先にある橋台と橋脚も残っています。
さらにその先の八木山川を渡っていた鉄橋の橋台も残っています。
ここにも道路橋が架かるんやろうなぁ。
来る度に少しずつ工事が進んでるような感じです。またチェックしに来ます〜。
]]>
運行は雨が上がり次第とのことで、しばらく止みそうもないので、雨天決行の「かかし祭り」会場のプラレール広場へ。テントの水滴が恨めしい・・・
まずは、いつもお世話になっている、プラレール広場の管理人様にご挨拶。今回も楽しませてもらいます。
その後、DML30さんも到着され、オトナも子供も一緒に線路建設!プラレールのレイアウトって、多少強引に持ってこれるところもあるけど、結構アタマ使いますよね。
息子氏は何故か京成スカイライナーがお気に入り。実物は見たことないのに(笑)
雨の様子を見ながら、しばらくの間、プラレールと鉄談義で盛り上がりました。11時前だったかな、ガタガタとトロッコの走る音が聞こえてきました。お客は乗っていなかったので試運転だったようです。そろそろかなぁ・・。それからしばらくしてお客を乗せたトロッコが通り過ぎて行きました。おぉ、運行開始したんだ!11時過ぎでした。急いでトロッコのりばへ向かいました。
受付へ向かうと、もう長い付き合いのtimeさん一家と遭遇。なんという絶妙なタイミング。
受付のテーブルを見ると、おや?どこかで見たことある写真が・・・いつもありがとうございます(汗)
先客が並んでいたので1本待って乗車。雨対策のためかシートカバーが付けられていました。
AW-2のホイッスルを鳴らして出発。空は雲で覆われて、風を受けると少し肌寒い感じ。それでもみんな笑顔で乗ってます。楽しいもんね。
走行中、トロッコの振動が頭のてっぺんまで響きます。
いつもの所で折り返します。停目確認!
毎年同じ車両に乗るので同じ構図になっちゃいますね・・(汗)
トロッコの中でこのカーブが一番好きです。
ホームを通り越して、いつもはトロッコ車庫の「熊ヶ畑トンネル」を通過します。
トンネルを抜けると・・
案山子達が見えてきました。今回も色んな事やってます(笑)
そして、トロッコはいつものように熊ヶ畑駅跡手前で折り返して出発地点へ戻ります。
約8分の乗車時間ですが何度乗っても楽しいですね。
この後は、再びプラレール広場へ戻りました。息子氏は昼飯も食べずにプラレール遊びに夢中(笑) 広い所で好き勝手走らせられるのが楽しいんでしょうね。昼飯時を過ぎてもまだ遊んでて、こちらは、たいがいお腹もすいてきたので、半強制終了。
その後、昼食を調達し車内で食べ、西鉄後藤寺バスセンター跡の前を通って、平成筑豊鉄道のへいちくフェスタ2016へ行ってきました。
後藤寺バスセンター跡は売物件... pic.twitter.com/wejD96mAPt
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2016年10月23日
キハ2004、ようこそ福岡へ@金田駅構内 pic.twitter.com/C6piSqCR5g
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2016年10月23日
実は帰る直前にまた乗りました(笑) 次回もまた来ます!
臼ノ浦線は松浦線の佐々駅から臼ノ浦駅を結んでいた典型的な盲腸線。ここも世知原線同様、運炭路線として敷設されました。1931年8月29日、佐世保鉄道により軌間762mmの軽便鉄道で開業し、その後、国有化、改軌され、世知原線と同じ1971年12月26日に廃止されました。詳細は廃線本やフリーな百科事典などを参考にしてください〜。
佐々駅を出ると、松浦線としばらく並走していたようです。昔の勝田線・篠栗線みたいな感じですね。写真の左奥が佐々駅、右中心に松浦鉄道に線路があります。双方大きくカーブして別れた所に臼ノ浦線の盛土が残っています。あとから調べたら橋台も残っているとのことだったが、この時期、遺構の奴等はすぐ隠れちゃうからなぁ(笑)
大きくカーブした線路跡は道路になりますが、すぐに佐々川へぶつかります。そこには、かなり削られていますが橋台跡が残っています。
こちらは対岸から佐々側の橋台を見たところ。2基ありますね。右側(下流側)の橋台は佐世保鉄道時代のもので、元々は佐々駅からではなく佐世保側から延伸開通しました。左側(上流側)は改軌と同時に分岐駅が佐々駅に変更になった際に敷設されたものです。
国土変遷アーカイブで過去の空中写真を見比べると面白いです。特に米軍写真からは新線・旧線入り混じったΔ線状態っぷりが分かります。これだけでご飯3杯食べれそうな写真です(笑)
↓下の画像は1947年の米軍撮影写真(国土地理院の空中写真)をトリミング・加筆したもの。
佐世保鉄道・国鉄時代のそれぞれの橋脚が平成まで残ってたっていうんだからビックリですよね、今は橋台のみが両岸に残っています。
臼ノ浦側の橋台跡。こちらは佐世保鉄道開業時のもの。軽便鉄道だったせいか、な〜んか貧弱に見える!?
こちらは改軌後、廃線まで使われた橋台跡。こっちのがガッチリしてるように見える!?
佐々川を渡ると堀割を進みます。
掘割を通り抜けると線路跡は住宅地と道路になります。空中写真では盛土と架道橋があったようですが痕跡は分からなかった。交差点周辺の土地形状にアヤシさを感じたぐらいかなぁ。さらに進むと線路跡道路と並行道路がピッタリ並ぶ所があります。廃線跡らしい光景ですね。幸袋線跡を思いだします。写真は臼ノ浦駅方向を見たところ。左の道路が線路跡。
臼ノ浦駅跡は公民館になっていますが、駅へ上る階段がそのまま流用されています。横長い階段があるだけで駅っぽい雰囲気がありますね。
公民館前にある駅名標は当時のものではなく、平成20年に地元の企業が建てた復刻版のようです。空中写真を見ると線路はこの先にあった貯炭場まで続いていたようです。
↓臼ノ浦線跡のルートとそれぞれの写真の位置↓
本物の駅名標は役所の中に展示されていました。実は日本本土最西端訪問証明書をもらいに佐世保市役所小佐々支所を訪ねた時に偶然見かけたんですよ。もし、漁協に証明書をもらいに行ってたら見れなかった。盆休みとはいえ平日で役所が開いてたのがラッキーでした。
世知原線は炭坑の専用鉄道がルーツで佐世保鉄道→国有化となり、1971年12月26日に廃止されたました。詳細は廃線本やフリーな百科事典などを参考にしてくださいな。この地域の鉄道は買収、国有化、改軌、線路移設などなど経緯が複雑で面白そうです。
(進行上、世知原駅跡から進みましたが、吉井駅の分岐付近から進めていきます)
吉井駅から分岐してすぐの所に「工」杭がありました。
アングルを変えて・・奥に松浦鉄道(元JR松浦線)のアーチ橋が見えています。
世知原線の線路跡の大部分は歩行者・自転車専用道路になっています。並行道路と高低差がある区間があり、そこそこ勾配が続いてたんだなと感じます。途中、橋があったので何かあるかな?と思ってパッと横を見てみたらアーチ橋があったので急いでUターンして撮影。
並行道路から自転車道を横断する箇所(かつて踏切だったと思われる)を何ヶ所か確認しながら進んでいく。こういった時はバイクが小回りが利いて良い!その中でホームのようなものがある場所を発見。バイクを停めて歩いて近づいてみた。
おぉ、このスロープ状。こりゃどう見てもホームですなぁ。( ̄∇ ̄)ニヤリ
もう少し先へ歩いてみると、スロープ状になった吉井側の末端部も確認できました。その場でググってみたら、祝橋駅とのこと。駅舎はどこにあったんだろう?
祝橋駅跡から世知原駅跡の間に線路跡道路に対して土地が斜めになってる広い場所があって、何かアヤシイよなぁ(写真は無し)って思ってたんだが、帰宅後に変遷アーカイブで空中写真見てみたら、やっぱり何かあった。石炭積出場っぽい感じの設備があった。
世知原駅跡の近く、歩行者・自転車専用道路の起終点に橋が架かってたんだが、ん?上路ガーダー橋だった感じ?
近くに来てみたけど桁が見えない・・(汗)
柵に体ひっつけて思いっきり手を伸ばして撮ってみた。
なんかエラく綺麗。塗装しなおしてるんかな?
それとも鉄道時代の桁じゃないとか?んなことないよねぇ・・。
世知原駅跡の一部は公園になっていて、廃止を記念した動輪が設置されています。
昭和19年から昭和45年まで活躍したC11の動輪ですってよ。
かなり錆びてます。プレートも外れかけてますばい。管理してる人いるのかなぁ・・。
↓世知原線跡のルートとそれぞれの写真の位置↓
来たついでに世知原炭坑資料館を見学してみました。
この建物は松浦炭鉱事務所だったそうです。なかなか洒落た建物です。
展示物は炭坑関連が中心ですが、世知原線関連もあり、貴重な駅名標や現役時の写真、切符、ダイヤグラム、制服などが展示されていました。
ここも筑豊と同じく、炭鉱のために鉄道が敷かれ、閉山と同時に鉄道の使命が終わった場所だったんですなぁ・・。
今日の廃線跡@大分交通豊州線(豊前善光寺) pic.twitter.com/9TYzGW14Lf
— おっちー[otchee] (@web_otchee) 2016年7月5日
大分交通豊州線については、ネットで検索すれば色々とヒットします。たぶんそっちの方が詳しく探索&調査されてると思うので、そちらを参照されてください(汗) 簡単に説明すると、大分交通豊州線は四日市駅(後の豊前善光寺駅)〜豊前二日市駅間を結んでいた軌間762mmの軽便鉄道。1914年(大正3年)に日出生鉄道によって開通→豊州鉄道→大分交通豊州線と名称が替わり、1953年(昭和28年)に廃止されました。計画では四日市から安心院(あじむ)まで敷設し(実際は豊前二日市まで)、陸軍演習場があった日出生台(ひじゅうだい)を目指していたそうな。だから日出生鉄道。
「鉄道廃線跡を歩く」に載ってたような・・けど内容忘れたなぁ・・院内の方で駅跡を示す駅名標を見たことがあるなぁ・・どっかの川に橋脚が残ってなかったけ?程度の知識で事前準備無しの探索でした(いや、所用のついでに寄ってみただけなので探索とは言えんか・・)。
↑この橋台跡はJR豊前善光寺駅のすぐ目の前にあります。「鉄道廃線跡を歩く」によると機関庫へ続く線路だったそうな。下の空中写真から想像するに画像右側(西側)に機関庫があったんでしょうね。(橋台跡の画像は南側を向いています。) 大正初期の敷設なのに橋台が煉瓦ではなく石材なのは、沿線の院内に石工が多かった地域性からか!? それともコストの問題?桁を固定していたと思われるアンカーボルトが残っています。
現在のJR九州・豊前善光寺駅(※開通当時は豊州鉄道四日市駅、後に九州鉄道合併→国有化。日出生鉄道→豊州鉄道とは別会社。ダブった時期は無い)。かつてはイイ味出した木造駅舎だったようだが、老朽化のためにシンプルな駅舎に建て替わっている。下の空中写真を見るところ豊州線の駅は、この真正面にあったようです。
では、現役時・廃線後・現在の空中写真を見比べてみよう!
1948年(S23)の空中写真。豊州線がまだ現役の頃。
1962年(S37)の空中写真。日豊本線・豊前善光寺駅前への道路(点線)はまだ出来ていない。
現在の様子はこんな感じ↓
上のGoogle Mapsを南にスクロールさせてみてください。駅前から真っ直ぐに続く道路と線路跡が交わる地点が分かりますか?下の画像はそこから駅方向を見たところです。
一直線の道路と緩やかなカーブを描く線路跡。イイですねぇ。
他の空中写真を比較すると、駅前の直線道路は1962(S37)〜1967(S42)年の間に造られたようです。
今回は探索しに来てるわけじゃないので、院内にある駅名標や遺構が呼んでいましたが、華麗にスルーしてきました(笑)
帰っていろいろと調べていくうちに、国立公文書館アジア歴史資料センターのサイトで「日出生鉄道工事施行の件」という資料を見つけました。
以下の画像は「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C02031557700、大日記乙輯 明治45年(大正01年)(防衛省防衛研究所)」から。
全7枚の資料画像の中に施工予定路線図があったんですが・・・ざっくりしすぎでしょ、これ(笑)
目指す日出生台とは違う方向に進んでますが・・・。安心院の市街地を通す必要があったんでしょう。
7枚目画像の摘要欄に興味深い内容が記されていました。
(略字等は新字体にしています)
●停車場/四日市、善光寺、城井、四日市町、法鏡寺、拝田、三又、香下、高並、円坐、東院内、南毛、安心院
●社長/水之江文二郎
●資本金/三十万円
●工事費/同額四日市、東院内、安心院ノ三駅は更メテ設計認可ヲ得ルモノトス
東院内駅ハ「スイッチバックステーション」ナリ
え?なんですと?わんもぁぷりーず!
東院内駅ハ「スイッチバックステーション」ナリ
は?マジでか!?Σ(゚Д゚)
そんなこと、グー●ル先生にもウィ●ペディアにも載ってなかったぞ。
東院内とは豊前二日市駅のことと考えて良いのだろうか?
どんな配線のスイッチバックにしようとしたんだろう・・
さて、ルートの妄想をしてみようかねぇ(笑)
我が家のネスカフェ バリスタがお漏らしします・・。どうしたらよいでしょうか?
お礼65535枚。
と、ヤ◯ー知◯袋にでも相談しようと思ったのは嘘です(笑)
ホントに困ったことになりました。水がダバァとなるんですよ。事の発端は、雑貨置場と化したパソコンデスクに置いていたボックスの底板に大量のカビが発生してて、何ごと?と思ってボックスどかしたら、デスクの天板が水を大量に吸ってベコベコになりカビだらけの状態。ここにバリスタを置いてたので、もしや水漏れでは?っていうのはすぐに気が付きました。
うわぁ、これってどうしたらいいんかなぁと思っていたら、嫁氏からネットで検索したら修理事例が出てきたよ。と言われ、早速グーグル先生に問合せ。
結構、みなさん水漏れで悩まされていた様子。うちだけじゃなかったのか。色んなサイトをパラパラと流して読んでみると、水漏れ原因は色々あるが、一番多そうなのがタンクを差し込む部分(黄色い矢印)のパッキンがバカになってる場合があるとのこと。
よし、なるほど。ということで、とりあえずバカになったパッキンを取ってみよう。丁寧にピンセットでつまんで外してみると断面が逆U字型のパッキンだった。
で、代替品は検索した結果、修理成功者の一番のオススメが三栄水栓の「PP432-1S-16」というパーツ。これは互換性が高いのか、かなりの成功率らしい。その次がカクダイの「9082 自在パイプ取付パッキン(小)」と「0741K 吐水口取付パッキン」これらは、漏れたり漏れなかったりと成功率は下がるようだ。
ということで、私もこれらを購入すべくホームグラウンドのナフコへ・・
しかし、現地について財布を忘れたことに気づく。まさに日曜18時30分のマダムだよ(笑)
家に帰って出直して来たものの・・・
どれも売ってなかった...orz
諦めて帰りかけた時、ナフコのPB商品を陳列しているコーナーに似たような形状のパーツを発見。
「NP005 自在パイプ取付パッキング(小)」
サイズはちょうど良さそうだし、なんと製造元がカクダイなのだ。
ネットじゃ当たりハズレがあるようだけど、まぁこれで直れば儲けモンと思って購入。
修理依頼するより全然安いし。
で、包装を開けるだけの開封の儀(笑)の後、早速装着。一応、ノギスで測ったみたけど、柔らかい素材なので細かい数字に誤差が・・・(汗)
まぁ、よしとします。パッキンの向き(溝が下向き)を確認して斜めにして、凹みに嵌り込むように入れていき無事完了。
一緒に入ってる白いリングは使わないので、取っとくなり処分するなりしましょう。
タンクに水を入れて本体に装着してみます。
すると、ハメ込む時にギュッと若干抵抗感がある。これはパッキンが効いている証拠か?
で、しばらく放置・・・・・・
お?お漏らししていない!
原因はパッキンにあり、これは当たり、大成功と考えてよいのか?
そんなこんなで交換してから3週間ほど経ちましたが、今のところお漏らしせずに順調に作動しております。
こんなんで直れば儲けモン!自己責任でやってみるぜ!ダメでも文句は言わないぜ!
と思われた紳士淑女はトライしてみるのもいいかもしれませんよ。
現地に着いたのは9時45分頃。まだ早いのか天候のせいか、お客の姿はチラホラ程度。
トロッコは既に運行していましたが、乗り場には列が出来ていません。
きっぷ売り場の前には熊ヶ畑駅が現役の頃の写真。
おや?閣下からメッセージが(笑)
きっぷを買って階段を上がり乗り場に進みます。すると今回の目玉アイテム「踏切警報機」がお出迎え!
車で熊ヶ畑に着き、視界に飛び込んできたこの踏切警報機に思わず、おおぉぉ〜!と声が出ましたよ(笑)。
↓実は昨年秋はこんな姿でした。今回ついに立ち上がりました!
スタッフさんによると、まだ、なんとか設置出来た状態とのことで、次回の秋までには作動するようにしたいと言われてました。約30年ぶりに熊ヶ畑に警報機の音が響く日は近い!?
トロッコが戻ってきたので、私らも乗り込みます。いつもはモーターカーの後ろの車輌に乗るんですが、今回は最後尾(上山田側・出発時は先頭)に乗りました。程なく信号が青になり出発。
なかなか良い眺め。
天気のせいで少し肌寒く感じました。太郎ちゃんのメッセージのような爽やかな春風を感じたかったなぁ。
線路は一部バラストが流れ出て?貧相な姿になっている箇所があります。
手作り標識「スピード注意」
ここは若干スピードオーバー気味になるんでしょうか。
手作り標識「注意ゆっくり」
目の前には折り返し地点が見えています。絶妙なブレーキさばきでゆっくり停止。
そこから折り返していきます。
写真を撮る人、風景を楽しむ人、子供をあやす人、載せられないのが残念ですが、トロッコに乗ってる時のお客さんの顔がみんな笑顔なのが素敵でした。
出発した乗り場を通過して、普段はトロッコの車庫になっているトンネルを通り抜けます。
わーい♪(笑)
熊ヶ畑駅があった場所の手前で再び折り返します。
廃線とは思えない、現役路線と見間違えるほど綺麗な線路です。
これもスタッフの皆さまの努力の賜物だと思います。ありがとうございます。
再びトンネルを抜けて終点。
今回は少し肌寒かったけど、十分楽しめました。
この後、また乗って、帰る間際にもう1回乗りました。どんだけ好きなんだよ(笑)
そして、いつもの「プラレールのへや」へ。
子供らが好き勝手な編成を組んで走らせるのを楽しく眺めてました(笑)。
いつも遊ばせていただき、ありがとうございます。
次は秋ですね。楽しみです!
またよろしくお願いします。
https://otchee.com/railroad/katsuki201601/katsuki201601.html
https://otchee.com/railroad/katsuki201601/katsuki201601.html
]]>https://otchee.com/railroad/kamiyamada201512/kamiyamada201512.html
https://otchee.com/railroad/kamiyamada201512/kamiyamada201512.html
]]>私のきかんしゃトーマスとの出会いは、子供が生まれてからです。「汽車のえほん」の存在はテレビシリーズの「きかんしゃトーマス」を観るまで知りませんでした。「きかんしゃトーマス」は、ポンキッキでやってるあれか、子供向けだろ?プラレールに毛が生えたもんだろ?的な感じで、眼中にありませんでした。
その後、子供が生まれて、親子でカートゥーンネットワークやキッズステーション等で子供向けアニメを観始めた時に「きかんしゃトーマス」を初めてまともに観ました。話の内容は、なかなか面白く、設定や用語もしっかりしているし、一番惹かれたのはジオラマにアーチ構造物が多い点でした(笑)
すぐにハマりました。よく事故を起こしていたのがアレですが(笑) 先日NHKで放送された「きかんしゃトーマスのヒミツ旅 世代を超えたおくりもの」では、作者のウィルバート・オードリーが物語を書くに際に『実際の鉄道事故を元にしていた』という話を、当時のスクラップ記事とともに紹介していました。ゴードンが転車台から落ちた話、トーマスが鉱山の進入禁止の線路に突っ込んで落ちた話など。実際に鉱山の穴に落ちた事故では機関車は60メートル下に落下したそうです。機関士は落ちる前に逃げ出したとか・・まさにテレビシリーズの事故時でよくある機関士神脱出じゃねーか(笑)
テレビシリーズの絵本は子供らにさんざん読み聞かせました。寝かすつもりがこっちが眠たくなって、物語がぐちゃぐちゃになりつつも読み聞かせ続けていたのが懐かしいです。
CGシリーズになってからは面白さ半減になった気がするのは私だけ?
展示室に入るとトーマスが迎えてくれます。この一室は撮影OKで物販も行われていました。
らでわいさなね。は?違う違う(笑)
↑入ってすぐ右にブロックで作られたトーマスが居ました。
こどもが、レゴやん!レゴで出来とー!と言って大興奮でしたが・・・・あのー、これはダイヤブロック製のようですよ(笑)
この先の展示室は一切撮影禁止。そりゃそうだよな。
原画ってA4サイズぐらいあるのかと思ってたけど、もっと小さい。いや小さすぎる。はがきサイズよりは大きい?かな。絵はものすごくしっかり書き込まれてて驚きました。イラストレーターは時期によって異なり、絵柄も大きく変わっているのも驚きでした。テレビシリーズで観た内容の原作もあり、あーこれあったあった、観た観た、面白かったよねコレ。みたいな会話で楽しめました。逆にテレビシリーズでは無い物語もあり、インタシティ−125の絵がありニヤリしてしまいました。
ただ、原画の展示位置が大人が観れるぐらいの所にあったので、小さな子どもは抱え上げないと観れない絵があったことが残念でした。まぁ、子供にガンガン触られても困るだろうし、その点では仕方ないんでしょうけど・・。
あと、テレビシリーズの撮影で使用されたという鉄道模型も展示されていました。トーマス、ゴードンなど様々な機関車、信号場など、大きくて迫力ありました。また、模型でやってくれないかなぁ。CGはどうもなぁ・・(汗)
↑トップハムハット卿とE.T.ごっこ(ネタ古っ!)をする俺氏(笑)
展示スペースを抜けると定番のプラレール。ただし動いてません。レイアウト台の外の白線から内側は入れません。もちろん触れません。ちびっこにとっちゃ、ある種の拷問ですばい。その先に遊べる木製のおもちゃはあったけどね。
12月13日に行った時は、たまたま平成筑豊鉄道のミニ列車運行が行われていました。
この日は物販の図録やポストカードが気になっていたんですが、子供が腹減った飯食わせろとうるさいので(笑)、何も買わずに出てきました。しかし、どうしても気になる・・。てことで、展示最終日に再度行ってきました。
"ON SCHEDULE"
やっぱハット卿といえばこれですよね。スペンサーもポスターっぽいデザインが気に入りました。原画ポストカードの種類が私の好みと一致しませんでしたが、唯一手が出たのはトーマスとゴードンの並びのやつ。このコンビ。いいよね。
「起きろよ!怠け者!僕みたいにちゃんと働けよ!」名言です(笑)
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