2016年9月アーカイブ

お盆休みソロツー@佐世保「ルート上に廃線があるのでついでに寄ってみよう」の続き。世知原線跡を追い、そのまま佐々方面へ向かって臼ノ浦線跡へ。この佐々。読みは「さざ」なんですが、現地に来るまでずっと「ささ」だと勘違いしてまして・・アストロロボ佐々・・などと、しょうもないことを考えてました。(初期のファミコンソフトでアストロロボSASAってのがあったんですよ。)

臼ノ浦線は松浦線の佐々駅から臼ノ浦駅を結んでいた典型的な盲腸線。ここも世知原線同様、運炭路線として敷設されました。1931年8月29日、佐世保鉄道により軌間762mmの軽便鉄道で開業し、その後、国有化、改軌され、世知原線と同じ1971年12月26日に廃止されました。詳細は廃線本やフリーな百科事典などを参考にしてください〜。

佐々駅を出ると、松浦線としばらく並走していたようです。昔の勝田線・篠栗線みたいな感じですね。写真の左奥が佐々駅、右中心に松浦鉄道に線路があります。双方大きくカーブして別れた所に臼ノ浦線の盛土が残っています。あとから調べたら橋台も残っているとのことだったが、この時期、遺構の奴等はすぐ隠れちゃうからなぁ(笑)
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大きくカーブした線路跡は道路になりますが、すぐに佐々川へぶつかります。そこには、かなり削られていますが橋台跡が残っています。
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こちらは対岸から佐々側の橋台を見たところ。2基ありますね。右側(下流側)の橋台は佐世保鉄道時代のもので、元々は佐々駅からではなく佐世保側から延伸開通しました。左側(上流側)は改軌と同時に分岐駅が佐々駅に変更になった際に敷設されたものです。
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国土変遷アーカイブで過去の空中写真を見比べると面白いです。特に米軍写真からは新線・旧線入り混じったΔ線状態っぷりが分かります。これだけでご飯3杯食べれそうな写真です(笑)
↓下の画像は1947年の米軍撮影写真(国土地理院の空中写真)をトリミング・加筆したもの。
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佐世保鉄道・国鉄時代のそれぞれの橋脚が平成まで残ってたっていうんだからビックリですよね、今は橋台のみが両岸に残っています。
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臼ノ浦側の橋台跡。こちらは佐世保鉄道開業時のもの。軽便鉄道だったせいか、な〜んか貧弱に見える!?
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こちらは改軌後、廃線まで使われた橋台跡。こっちのがガッチリしてるように見える!?
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佐々川を渡ると堀割を進みます。
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掘割を通り抜けると線路跡は住宅地と道路になります。空中写真では盛土と架道橋があったようですが痕跡は分からなかった。交差点周辺の土地形状にアヤシさを感じたぐらいかなぁ。さらに進むと線路跡道路と並行道路がピッタリ並ぶ所があります。廃線跡らしい光景ですね。幸袋線跡を思いだします。写真は臼ノ浦駅方向を見たところ。左の道路が線路跡。
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臼ノ浦駅跡は公民館になっていますが、駅へ上る階段がそのまま流用されています。横長い階段があるだけで駅っぽい雰囲気がありますね。
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公民館前にある駅名標は当時のものではなく、平成20年に地元の企業が建てた復刻版のようです。空中写真を見ると線路はこの先にあった貯炭場まで続いていたようです。
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↓臼ノ浦線跡のルートとそれぞれの写真の位置↓


本物の駅名標は役所の中に展示されていました。実は日本本土最西端訪問証明書をもらいに佐世保市役所小佐々支所を訪ねた時に偶然見かけたんですよ。もし、漁協に証明書をもらいに行ってたら見れなかった。盆休みとはいえ平日で役所が開いてたのがラッキーでした。
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