延命寺川河口の4基の遺構

Category:廃線・未成線 コメント(6)

土曜日に久しぶりに完全フリーになったので、折畳み自転車を車に積んで探索に出かけました。
小倉駅付近に車を駐車して、とりあえず向かったのが延命寺川に架かっていた橋りょうの遺構。
ここは何年も前から行きたかった場所。国道を通る時に何度かチラ見して、いつかは・・・
と思いながら、タイミングが合わず今までズルズル来てしまいました。

kokura_takahama3.jpg

よそのサイトで取り上げられてるのを閲覧したり、
お知り合い様から画像を見せてもらったりした事はあるんですが、やはり自分の目で見るのはいいですね。

ここはよく見ると完全な橋台跡が1基と橋台跡らしきアヤシイ遺構が3基ありました。
材質や積み方・形状、あと直感(笑)から、全て同じ種類の橋台跡と考えられます。

kokura_takahama1.jpg

鹿児島本線を背にして、旧街道の橋から河口を見たところ。
①が最初の画像。それの門司側に②。
そこから少し海側へ離れた所の国道199号線の橋に隠れるようにして残っている③④の橋台跡がありました。

↓①と④の橋台を見たところ

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↓国道を車で走ると絶対に見えない位置にある④の橋台跡。

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↓そして、その反対側にある③の橋台跡。ここも国道からは見えない。

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↓完全な状態で残っている①の橋台跡の反対側にある②の橋台跡。

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②③④ともに上部が削られていました。
②については古い石積みの護岸の天端に合わせて削られていました。
元々はそれぞれ①と同じような橋台だったのかもしれませんね。

①の橋台のそばには例の杭が点在していました。今はどうなのかわかりませんが、JR貨物の所有のようです。国道199号線の歩道を走っていると、建物の隅や店舗の隅など至る所に「工」杭が残っていました。

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橋台跡のそばにあった案内図には線路がまだ残っています。この地図の橋りょう表記が正しければ、②の橋台は川沿いの道よりも門司側にあったように見えます。もし古くからある道ならば橋脚だった可能性も!?

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↓国道から橋台跡・鹿児島本線を見たところ

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そもそもこの線路は何かというと、小倉鉄道が敷設した線路でした。この橋台跡から小倉側に線路跡を辿ると(現在は藪&撤去済)、鹿児島本線の旅客・貨物上り本線の下を通り、東小倉駅の側線の中へ続いています。

東小倉駅は、もともと、小倉鉄道(添田線→日田線→日田彦山線一部+添田線)の起点駅として、1915年4月1日に開業しました。開業の年の10月25日、小倉鉄道 東小倉停車場構内海陸連絡線竣工につき使用開始の件を申請。10月28日許可。11月2日より石炭の輸送を開始します。これが、東小倉駅から鹿児島本線をアンダークロスして海側へ続く「海陸連絡線」と呼ばれる引込線。さらに小倉鉄道は駅の北側にある高浜海岸に約24,000坪の埋め立て地を築き、そこに延長1,800フィートの鉄筋コンクリート高架桟橋や延長765フィートの地平線を設けて貨物運輸を行っていました。また、約14,000坪の貯炭場に80,000トン以上の貯炭が出来る設備を造ったそうです。(※S15小倉市誌参照)

これらの経緯、古い地図、過去と現地の状況から、東小倉駅から鹿児島本線の下をくぐり、①の橋台から②の橋台へ延命寺川を渡り、その先でスイッチバックして、③の橋台から④の橋台へ再び延命寺川を渡り、高浜海岸の桟橋へ続いていたと思われます。桟橋や③と④の橋台跡がいつまで使用されていたのかまでは、ヘタレなんで分かりませんでした(汗)

ちなみに信号機位置図(S52)には、桟橋引上と記された線路が載っています。

kokura_takahama0.jpg

小倉鉄道時代から続いていた桟橋へ続く線路の名残なんでしょうね。この路線図でもスイッチバックする形でヤードに続いていますが、分岐点は延命寺川の橋台跡より東小倉側にありました。近年まで残っていましたが、今はヤードも分岐点も残っていません。

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コメント(6)

>blue fieldさん
おぉ。バッチリ残っていたんですねぇ。
川の中に橋脚があったのか・・・。そこまではチェックしなかったです。
2001年ですか。こっちまでは探索に来なかったなぁ・・。残念。
写真を拡大してみると、橋梁名は『○○○○○橋りょう』のようですね。

鉄橋写真ゲット!!

てか最近まであったんや・・・・。
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/2001-47ee.html

>blueさん
話には聞いたことがありましたが、珍しい光景が見られるのはココだったんですね。
画像の端っこに東とあるのは東京製綱です。
市営は何なんでしょうねぇ・・新中原駅の配線図にも書かれてました。
地平は、高架桟橋に対しての地平?

国会図書館のライブラリで色々調べてたら、小倉鉄道の線路縦断面図が載ってる書籍を見つけました。
拡大すると解像度不足で読み難かったですが、ここは「延命寺川橋梁」と記されてました。
そのままやん(笑)

満潮時は子供のひざ下まで水位が上がります
で、満月のとある日であれば、フグが大量に押し寄せてきますばい。

ちなみにこの延命寺川の上流は富野弾薬庫という旧日本軍施設がありますよん。こちらも超地元です♪

あと配線図よく見ると自分の生まれた年ですばい。
かねみ、紙、東(東京製網?かな)
気になるのが市営と地平ですけど、これはなんでしょうね?
ご存じありますか?

>blue CAPさん
河口だからなのか、水が綺麗なのが印象的でした。
満潮の時は水位が上がるんでしょうか?
私が探索中にも少年が川に入って何かを捕まえてる様子でした。
いつの時代も子供の遊びは変わらないんでしょうねぇ。

あのタイプの世帯主名一覧手書き住宅地図は昔はどこでもありましたね。
今度行った時は設置年が記されてないか細かくチェックせないかんですな。

後日UPするネタはblueさんとこの探索内容とかなりダブってると思います。

小さい頃はここでイトウナギ、ドンコなどをよく捕まえました。
てか、地図を見ると僕が小さい頃はもう線路はなかったと思ったけど、あったのか?子供頃の記憶は不確やな・・。

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