2011年8月アーカイブ

潮風号@到津

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先月、ちょいと用事があって到津遊園・・・・じゃなかった到津の森公園に行ってきました。
メリーゴーラウンド付近で、こんな遊具を発見。
以前、家族で来た時には無かったハズ・・・。娘を隣のアンパンマンに乗せて遊んだので覚えてる。
完全に北九州仕様の遊具ですな。今度行った時は子供たちを乗せてみよう。

けど、これってモデルはDE10じゃね? しかも旋回窓付きの寒冷地仕様。
細かいことは気にしない(笑)

敷根駅跡付近の線路跡道路は、そのまま国分まで続いているようなのでトレースは簡単。細かく探索すれば「工」の1本ぐらい出て来そうな気がしますが、時間の都合もあるので、そのまま次の銅田駅跡へ向けて走りました。

●銅田駅跡

この駅は空中写真で見ると盛土上にホームがあったようです。今は削られてフラットな道路になっています。かつて架道橋があった所(現・国分南公園前交差点)の角付近に駅跡を示す鉄道記念公園がありました。

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鹿屋駅以降、ここまでで初めての保存車両です。車輪はありませんが・・・。
あと、あまり見かけないカラーの駅名標が保存されていました。

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↓鉄道記念公園から海潟側を見たところ。

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↓銅田駅/1974年度・空中写真。2両編成のディーゼルカーが停車しているのが分かる。

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線路跡の道路をさらに進みます。

●金剛寺駅跡

比較的交通量の多い道路だったので、じっくり探索はしていません。
ここも空中写真と現況地図を見比べて、たぶんこの辺やろう・・・という場所で撮影しています。

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↓金剛寺駅/1974年度・空中写真。

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ここから国分駅の間にはトンネルがあったようですが、山が削られて無くなっていました。
線路跡道路はその先から国分駅へ向かって大きくカーブしていました。その様子は今でもわかります。

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第一工業大学の横を通り過ぎると、日豊本線が近付いてきます。
写真の右側が日豊本線。奥が国分駅です。

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国分駅には大隅線で使用されていたホームが残っているとのことでしたが、
時間の都合でそこまで探索出来ませんでした。

大隅線探索シリーズはこれで終りです。
全長98.3km、筑豊の廃線群とは比べ物にならない長さの廃線を駆け足で探索してきましたが、本格的に探索するとなると1日じゃ到底終りませんね。古い時代の遺構から鉄建公団建設の遺構まで見れて、全通までの長い歴史を実感しました。途中には貴重な資料を保管している鹿屋市鉄道記念館もあり、大変興味深い廃線でした。休館日で入れなかった資料館もあるし、まだまだ探索不足な所もあるので、若干不完全燃焼感はありますが、初探索にしては十分楽しめました。いつか必ず再訪したいと思います。

この遠征から帰ってきてから、しばらく経った頃、ふと、部屋の本棚から取り出した「新・鉄道廃線跡を歩く・5 四国・九州編」を見ていると・・・・なんと、大隅線が掲載されてるじゃないですか(汗) 買ったはいいけど、サラリと流して読んでるのがバレバレですな・・・。

大廻駅跡から続く線路道を進む。

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少し高台を通っているので、非常に見晴らしが良い。

途中で下の道に降ろされてトレース不能となりました。
空中写真を見ると、この先はコンクリート橋(高架橋?)で奥まで続いていたようです。

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国道から大隅福山駅跡へ続く道へ進むと、すぐに駅跡の公園がありました。

●大隅福山駅跡

公園には案内板と車輪・レールが設置されていました。
ここも園名は駅名からではなく、地区名から「小廻中央公園」となっていました。

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ここも桜が満開です。
↓駅跡から国分側を見たところ。線路跡の道路が続いています。

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↓大隅福山駅/1974年度・空中写真

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その線路跡の道路を辿っていくとトンネル跡の手前で終了。
カーナビによると小さな集落を通って国道に行けそうだったので、S字を下りて進んでみると・・・
軽自動車ならなんとか通れそうな程の超狭幅員の道路でした。戻ることも出来ず、擦るつもりで突入。案の定、ガリッとイヤな音がして突破。とりあえず国道へ抜けて確認したら、底面に縁石が当たったようで、ボディは無傷。ナビにやられたわ。こんな事があるので、私はナビをあてにしません(笑) 表示は正しいんやけどね。

国道をさらに進みます。線路跡はトンネルなのでトレース不可能。国道をそのまま走り、ちょっとした山越えの所で、眼下にトンネルを抜けた線路跡が見えました。その先もトンネルで抜けているようなので、山越えした後、国道から線路跡道路へ入り近付いてみました。

台形断面の萌える(笑)線路跡。この盛土上を歩いていけばトンネルへ行けるんだろうなぁ・・・。
写真は海潟側を見たところ。

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線路跡が道路になっている部分は、この盛土から国道の間だけで、国道を越えてからは部分的に線路敷が残っていました。その先は再び道路になっています。次の敷根駅跡を目指して進みます。

●敷根駅跡

ここも何も残っていないのでサッパリわかりませんでした。
空中写真と現況を比べて、たぶんココという所を撮っています。

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↓敷根駅/1974年度・空中写真

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道路に囲まれた三角形状の所。今は家が建っている所が駅跡でしょうね。

線路跡は国道に対して山側を通っています。
途中、国道の真横を通る所があり、ここでもコンクリート橋跡がよく見えます。

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↑廃貨車と廃線の奇跡のコラボ!?(笑)

川に架けられたコンクリート橋は殆ど残っています。一部ではトンネル跡もそのままです。

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途中で線路跡の道へ行ける所もありましたが、国道から大隅境駅跡へダイレクトに続く道を進みました。

●大隅境駅跡

ここはこれまでの数駅と違って公園として整備されていました。
擬木の標識柱が古く、新城駅跡の公園と同じタイプのものだったので、同じ頃に整備されたのでしょう。
公園名は「牛根境鉄道記念公園」となっており、駅名ではなく、地区名が付けられていました。

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園内にはトイレや東屋、遊具、車輪が設置されていました。
線路跡はここの少し上を通っていたようで、階段で繋がっています。

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この駅は交換可能な駅だったようで、敷地が広い感じでした。
その広い敷地一杯に桜の木が植えられており、この日は時期的に丁度良く、満開でした。
↓ホーム跡から海潟側を見たところ。

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↓国分側を見たところ。

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桜並木の下に「鉄道跡地造園記念碑」がありました。それを見ると出来たのは平成6年のようです。

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↓大隅境駅/1974年度・空中写真

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この駅跡の先にはトンネル跡がありますが、通れないので国道へ戻って次の大廻駅跡へ進みます。
この間も国道と並走して遺構が見える所があります。
海岸沿いを進む線路跡は、片盛土・コンクリート橋・カルバート・トンネルで進んでいきます。


●大廻駅跡

大廻駅跡の前後は道路になっていますが、駅跡がさっぱりわからん・・・。
空中写真と現況を見比べて、だいたいこの辺やろ・・という場所で撮影しました。

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↓大廻駅/1974年度・空中写真

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ここから先はしばらく線路跡道路が続きます。

海潟温泉駅跡から国道へ出て、そこから先は駅跡をピンポイントで探索します。
途中、このようなコンクリート橋跡が大小いくつも残っています。

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●大隅麓駅跡

国道から駅跡へ続くへ入ると、道路のレベルまで路盤を掘り下げられた線路跡に出てきました。
その十字路から、海潟側の線路跡へ上ってみました。

↓空中写真を見ると、駅があった位置よりも少し海潟側の場所のようです。

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↓同じ位置から国分側を見たところ。

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掘り下げられて線路跡の道路になっているのがわかります。
ホームは中央左寄りの盛土上にあったようです。駅跡を示す物はありませんでした。

↓大隅麓駅/1974年度・空中写真

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線路跡は一部が道路になっているだけで、他はそのまま残っているようです。
国道からも線路跡が見える所があります。近付けそうな場所もありましたが、そのまま次に進みました。

●大隅辺田駅

ここも大隅麓駅と同じように国道から少し入った所に駅跡がありました。
盛土上は道路になっており、そこへは駅跡を通る取付け道路がありました。
↓駅跡から海潟側を見たところ。

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↓同じ位置より国分側を見たところ。

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ここも駅跡を示す物はありませんでした。

↓大隅辺田駅/1974年度・空中写真

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ここから先も一部が道路になっているだけで、路盤やコンクリート橋、トンネルなどが残っています。
国道へ戻り、次の大隅二川駅跡を目指します。
途中、線路跡が並走する所があり、コンクリート橋跡がよく見えました。

大隅二川駅跡近くの国道から線路跡の道へ入った所に橋台跡が残っていました。

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●大隅二川駅跡

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この駅のホームは山側にあったようです。上の写真では手前側。向きは海潟側を見たところ。
ここも特に駅跡を示す物はありませんでした。線路跡は一部掘り下げられています。

↓大隅二川駅/1974年度・空中写真

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この先の線路跡道路も途中で途切れてしまうので、国道へ戻って次の大隅境駅跡へ進みます。

浜平駅跡の先の線路道を進み、トンネルを目前にして国道へ下ろされたので、そのまま国道を通って垂水駅跡へ進みました。線路跡はそのトンネルを抜けて垂水の市街地に抜けていたようで、その先の線路跡は緑道になっているようです。

●垂水駅跡

国道から駅跡へ続く道へ曲がると、すぐに道路を挟んで左右に垂水駅跡の垂水鉄道記念公園がありました。この国道からちょっと入る道路が、いかにも駅前道路って感じです。

↓国分側には駐車場と案内板があります。

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↓鹿屋側には公園の出入口があります。

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壁にはSLのイラスト。ん? この駅には4軸のSLは走っていたんでしょうか? 延伸開業した区間は貨物の取り扱いがなかったようなので、SLも走ってなかったりして!? まぁ、細かいことは気にしない(笑)

園内には様々な遊具やレール、ホームの一部(現役時のものかは不明)、車輪が設置されています。

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ホーム上から国分側を見たところ。遠くに桜島が見えています。

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線路跡はしばらくは道路になっていますが、途中から国道側へ折れます。その先の線路跡は藪になっており、海側へ迫り出した台地をトンネルで抜けて、海潟温泉駅へ続いていたようです。とりあえずそこを国道で迂回し、トンネルを抜けた先の線路跡道路を再び進みます。


●海潟温泉駅跡

海潟温泉駅は、昭和36年の延伸時の終着駅(当時は海潟駅)でした。昭和47年に国分まで延伸した際に少し山側へ移転したようです。下の写真は海潟温泉駅跡から垂水側を見たところ。旧駅へは奥のカーブしている付近から、右側へ真っすぐ進んでいたようです。

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道路の隅がやけに汚れているな・・・と思ったら、これ桜島の火山灰なんですね!!
風が吹くと舞い上がって、口の中に若干ジャリジャリ感が(汗)

↓海潟温泉駅跡から国分側を見たところ。新駅は盛土上にあったようです。桜島から噴煙が!!

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駅跡の周りにはアレが点在していました。思わずニヤリ。

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国分側の線路跡道路は遠くに見えるトンネル跡まで続いていました。

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↓海潟温泉駅/1974年度・空中写真

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海潟温泉駅から先は鉄建公団が建設した区間になります。台地と平地の境を通り、桜島と大隅半島が陸続きになった部分の山を長いトンネルで越えていたようです。車での完全トレースは不可能なので、国道を迂回して次へ進みます。

新城駅跡の公園から先は農地になっているので、平行する道路を進みます。

●諏訪駅跡

現役時の空中写真と今の空中写真を見比べて、おそらくココだろうと・・・。
何も残ってないのでちょっと自信無し・・・。
国分側から見たところ。ガードレールが曲がって不自然な空き地がある所が駅跡か?

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平日の昼間ということでジモティーの姿も無く、決定打が無いまま先へ・・・。
線路跡は道路になっているので、そのまま次に進みます。

↓諏訪駅/1974年度・空中写真

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●柊原(くぬぎばる)駅跡 ※柊は旧字体の「木偏+

大隅線跡/11 新城駅跡

Category:廃線・未成線 コメント(2)

古江駅から先、海潟(海潟温泉)駅へは昭和36年に延伸開業されました。
ということで、昔の技術では海岸線に沿って、クネクネと敷設されていたであろう所は、高架橋やトンネル・盛土で貫いていたようです。海岸線に沿っているのは沿っているんですが、少し内陸側に敷設されていたこともあり、比較的多く遺構が残っていました。

●古江駅跡〜新城駅跡

古江駅跡から先は高度を上げていたようで、防潮堤?と一体となった橋台跡が残っていました。

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この川を渡り、国道と住宅を跨ぎ、下の写真の高架橋へ繋がっていたようです。

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このスパッと切れた高架橋の断面を見ると、各地の未成線の遺構を思い浮かべてしまいます。
道路と平行する部分では高い位置を通る線路跡とコンクリート橋跡がよく見えます。

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線路跡は内陸部を通り、再び国道を渡ります。そこに橋台跡が跡が残っていました。

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昔の空中写真と現在の地図を見て作成したメモを元に新城駅跡へ向かっていましたが、途中で迷ってしまいました(汗) 車のナビと携帯google mapと直感を頼りに辺りをグルグル。とりあえず線路跡は見つけましたが、新城駅跡だと思って探索した所は全然違っていました(汗) ちょっとタイムロス・・・。それが↓の写真付近。

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気を取り直して、そこから線路跡の道を進んでいくと、目の前にトンネルが見えてきました。
対向車が来たら一発アウトなんですが、出口も見えてて比較的短いので安心。この辺で車で通過可能な廃線トンネルといえば、宮原線跡の信号が設置されてるトンネルや呼子線のトンネルなんかがありますね。筑豊地区では車で通行可能な廃線トンネルが無い(トンネル自体少ない)ので、短いけどワクワクしますね。

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銘板が残っていました。御仮屋ずい道(御板屋ずい道?)
まだ鉄建公団が発足する前なので、下工の設計で昭和32年に竣工しています。
トンネルを抜けるとすぐ新城駅跡の公園に出てきました。

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●新城駅跡

↓駅跡の公園からトンネルを見たところ。桜がとても綺麗でした。

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海側の公園入口。古い擬木標識柱に「新城鉄道記念公園」と掘られていました。

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園内には廃止時の物かどうかは分かりませんが、レールと短いホームが残されていました。

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ホーム上には駅名標を模した擬木案内板があります。板面がちょっと残念!?
どうせなら本物のような表記にすればよかったのに・・・。

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山側にも公園名を記した標識柱がありました。そばには公園の由来を記した案内板もあります。

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圃場整備を行なっていた影響で都市公園として位置づけてなく、
公園化工事完成から公式な設置年までブランクがあったようです。

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ここから一旦、国道に戻って、道路沿いの緑地帯の東屋で一休み。海の向こうに見える山々の奥に鋭く尖った開聞岳が見えてて、ちょっと感動。

荒平駅跡から先は、線路跡の自転車道と県道68号線(佐多街道)が海岸線に沿って、並走したり離れたりを繰り返します。
とても景色が良く、ディーゼルカーから見る美しい車窓は格別だっただろうな・・・と想像しちゃいます。
線路跡は一部が藪になってるように見えました。完全に自転車道になってないのかな?

●荒平駅跡

集落から少し離れた海岸沿いに荒平駅跡がありました。目の前には荒平天神があり、観光スポットとなっているようで、駐車場や案内板が設置されていました。

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県道から少し登った所に駅舎とホームが残っています。
駅舎はそう古くはなく、現役時に建て替えられた感じがします。
ホームには木製の東屋やパーゴラが設置されて、目の前の絶景を楽しめるようになっています。
線路跡は自転車道になっていました。

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oosumi_101_arahira.jpg駅舎の横には石碑がありました。「営業復活記念」と刻まれており、ここも大隅川西駅同様、終戦直前に休止され、戦後に復活したようです。

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↑駅舎に立つと真正面に荒平天神が見えます。

次に1961年まで終着駅だった古江駅跡を目指します。この先も海岸線と県道と線路跡がくっついたり離れたりします。線路跡は未整備の所があるようで、藪になってたり、信号機が残っている所もあって、実に廃線らしい雰囲気を醸し出していました。景色を楽しみながら海岸線の県道を進んでいくと、防波堤が見えてきて、小さな港町に着きました。市街地に抜ける途中で眼下に線路跡が見えてきました。その先に古江駅跡がありました。


●古江駅跡

駅舎跡には「古江鉄道記念公園」と書かれています。

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ホーム側から駅舎を見たところ。とても雰囲気が良い駅舎です。

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さすが終着駅だったこともあって構内は広い。その敷地を使った芝生広場は子供が走り回るには丁度良い広さです。近くにこんな鉄な公園があったら毎週行くのにね(笑)

志布志から古江までは、一部を除き、殆どが大正時代に敷設されました。この先、海潟(海潟温泉)へは昭和36年に延伸開業し、そこから国分までは昭和47年に開業しました。てことで、この先から廃線の様相がガラッと変わってきます・・・。

鹿屋市鉄道記念館から先へ進みます。

●鹿屋駅跡(鹿屋市鉄道記念館)〜大隅野里駅跡

線路跡の道路を進んでいくと腕木式信号機が残されている道路橋がありました。

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親柱や高欄には動輪を模したレリーフが飾られています。

橋の名前は「鉄道橋」というそうです。そのまんまですね(笑)

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橋を越えるとググーっと急カーブになります。
車窓がどんどん流れて、鹿屋駅跡が横に見えていました。Ωカーブを進んでいるのがよくわかります。

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●大隅野里駅跡

線路跡は途中から鹿屋基地に沿った自転車道となり、車でのトレースは出来ない。
とりあえず、道なりに進み一旦県道に抜けて、大隅野里駅跡を目指します。
県道から鹿屋基地側への道を進んでいくと、基地や自転車道が見えてきて、程なく大隅野里駅跡に着きました。
↓駅跡から鹿屋側を見たところ

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↓同じ位置から大隅高須側を見たところ。

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駅舎や駅名標が残されており、自転車道と道路の間には花が植えられていて、比較的人の手が入っている印象でした。線路跡はこの先も自転車道になっており、空中写真で見たところ、次の大隅高須駅跡近くの海沿いまで、近付きにくい感じだったので、国道と県道を通って直接、大隅高須駅跡へ向かいました。

●大隅高須駅跡

海へ抜けた自転車道はトンネルを抜けて大隅高須駅へ続いていたようです。
↓駅跡から鹿屋側を見たところ。

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駅跡は町民会館が建っており、記念碑がありました。

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↓次の荒平駅側を見たところ。

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この先は一部、車も通れる生活道路となっている部分もありますが、途中から自転車道になります。

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