吾平駅跡から線路跡道路を進んでいくと、途中で道が横にそれて、線路跡の盛土が残っている部分がありました。その盛土の先には川があって、その対岸の先が永野田駅跡になります。下の写真は、盛土横から吾平方面を見たところ。
その盛土の下に小さな遺構があります。
よく見ると、手前の古い石積みの部分と奥のカルバートとで、角度も構造も違っているのがわかりました。ピンと来たのが、橋りょう架替えに伴う線路の移動かな? で、手前の方は開業当時の遺構なのかな?と。
●永野田駅跡
川に架かっていた鉄橋は無くなっていました。その先の永野田駅跡へ行くために県道へ少し迂回。
目印にしていた郵便局の先から曲がると、永野田駅跡に出ました。
ここから次の川西駅跡・鹿屋駅跡までは「サンロード鹿屋」という愛称のサイクリングロードになっているため、車でのトレースは不可能でした。目立った大きな遺構はありませんでしたが、駅名標があり、ここに駅があったことを示しています。
●川西駅跡
再び県道に戻って鹿屋方面へ進みます。途中r68の下を線路跡が通っている跨線橋があり、大隅線の名前が残ってないか銘板を見ようと思いましたが、今回は駅跡中心の探索と決めてたので、確認はしませんでした。
r68からr550に曲がってサイクリングロードと交差している場所が川西駅跡と調べてたので、すぐにわかりました。駅跡には桜の木がたくさん植えられていて、とても綺麗でした。
駅跡には石碑があり、駅跡を示すものかと思ったら、
なんと、終戦直後に建てられた「驛復興記念」の記念碑でした。
裏面には小さな掘り込み文字が説明文刻まれていました。側面には昭和22年4月20日・・まで読めます。その下は門に見えるので「開通」でしょうか? 下部がコンクリートで埋められており、全文が読めないのが非常に残念です。
●永野田駅跡(空中写真)・・・右下に遺構が残る盛土跡。これを見たら架替えっぽいですね。
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