41.再会そしてアキバへ

Category:たびぼうろぐ 2010.10 コメント(2)

↑私がいた頃は駅の北側は山で、豊郷地区に抜ける一本道しかなかったのに・・・道路は通ってるし、店舗や民家は増えてるし、ここは一体どこだ?と思うほどガラッと変ってしまいました。スタジアムが出来てからどんどん開発が進んだんでしょうねぇ。昔の面影は全くありません。

↑駅の出口がある南側はどうだろう? おぁ、なんかビルが増えとるわ。
約四半世紀前、初めて鹿島神宮駅のホームに降り、駅前の何も無い寂しい光景を見て、子供ながらにこんな所で生活していけるんだろうか・・・と不安と寂しさで一杯になったものです。その後は少し開発が進みましたが、寂しい駅前だったことには変りありませんでした。駅前のゲーセンにはよく通いました(笑)
私が思うに、駅を中心とした街の開発が遅れていた要因の1つに、鉄道の開通が1970年と比較的新しく、既に駅から離れた場所で町の中心部が形成されていたことがあると思います。また、車が無いと生活出来ないような場所だったので(自転車にすら乗れなかったおっちー母は、鹿島で自動車免許を取得しました)、住民、住金関係の通勤者の殆どが車・バス利用だったように思います。なので、その後の街の開発は住金方向へのロードサイドにシフトしていった感じでした。
ちょうどその頃、東関道の潮来インターチェンジが出来て、道路交通の便が格段に良くなり、翌年ぐらいだったかな?JRバスと関鉄と京成が共同で東京駅行きのバスの運行を始めました。JRでは「特急あやめ」が1日何往復か運行されていましたが、バスはその時間を避けるように設定されていた気がします。運賃はバスの方が安く、首都高・京葉道路の混み具合で時間的にふらつきがありましたが「あやめ」よりも早く着くので、東京へ行く時はバスを使用していましたね。町の中心部や電波研前、住金前、神栖の鹿島セントラルホテルを通るため乗客は非常に多く、大垣救済臨のように溢れた乗客を乗せるためのバスも運行されていました。発車後、強制的に見せられた地元企業の広告ビデオが懐かしいなぁ(笑) 昔のエ○ビデオみたいな字幕スーパーのやつとか(笑) 今でもやってるんだろうか?
その後もバスは増便増便でさらに便利になり、東京に行く時にJRに乗ることは無くなりましたね。
単身、鹿島を離れる際もバスでしたし・・。
「あやめ」は今は1往復しか走ってないんですね・・・バスがあれだけ繁昌してるからなぁ・・・。

今回の旅では鉾田駅の探索に時間を割いた為、非常に残念ですが鹿島神宮駅には降りず、鹿島線に乗り換えて成田方面へ向かいます。鹿島線といえば4輌編成の113系です。これも懐かしい編成です。これから乗る列車は成田行きですが・・・鹿島線の大部分の列車は起点の香取駅の隣の佐原駅行きで、鹿島線専用ホームで折り返していました。佐原駅前にあったデパートもどきの「十字屋ポポ」「清見屋」それぞれの屋上にあったゲーセンに行く時によく乗りました(笑)

15時16分・ 2538M/成田行き発車。
さらば鹿島。今度来た時は必ず下車するよ・・・。鹿島神宮駅を出るとすぐに新しく出来た道路を跨ぐトラス橋があります。ここは道路が出来るずっと前からトラス橋でした。何も無いのに、なんでここだけトラスが架かっているんだろうと不思議に思っていました。もしかしたら鹿島線の計画段階から、国道を通す計画だったんでしょうか?

田園地帯の高架を走り、長い橋梁で北浦を渡ります。大洗鹿島線の新鉾田駅、北浦湖畔駅で見えていた北浦がこんな所まで続いているんですよね。南北に長く広い湖だというのがよく分かります。

反対側を見ると、橋(神宮橋)が2本。あれ、いつの間にもう1本架けたんだ? 鹿島神宮駅の北に出来てた道路やトラス橋の道路はこれに続いていたんだな。ということは国道51号線か。ここでやっと頭の中で道路が繋がりました(笑) 私が居た頃は、神宮橋は1本しかなく、しかも幅員があまり無いのに大型車がバンバン走る橋だったので、自転車で走るのは恐かったですねぇ。その頃は隣に旧神宮橋も残っていました。木製で朽ち落ちてる箇所もあり、見た目に恐かったんですが、人柱が使われているという噂が流れていたので、さらに恐かったですね・・・。

北浦橋梁を渡ると延方駅。あまり印象に無い駅です。いつだか忘れましたが、東京から乗ってきた「特急あやめ」が、この駅で思いっきりオーバーランして逆戻りしたことがありました。佐原〜鹿島神宮間で普通列車になるので停車しなきゃいけなかったんですが、運転士は特急時代のまま「潮来の次は鹿島神宮」と思い込んでいたんでしょうね。
次はその潮来駅。駅の周りは昔と変わってない感じでした。潮来駅を出ると、県境の常陸利根川の橋梁を渡ります。利根川と言ってもこの周辺だけで、利根川、横利根川、常陸利根川、北利根川、新利根川とあり、初めはどこがどこに繋がっているやらさっぱり分かりませんでした。

水郷を見渡す景色の良い高架橋を進むと十二橋駅。あたり一面田んぼの中にポツンとあります。その名の通り、12の小さな橋があって、舟でこれらを見てまわれる「十二橋めぐり」という観光名所としても知られています。10代の頃は全く興味がなかったけど、今はちょっと行ってみたいなぁ。

この高架橋は本当に見晴らしが良くて、 広い田園地帯の向うに鹿島臨海工業地帯の工場群が見えています。十二橋駅を出て、長い利根川の橋梁を渡ると成田線が近づいてきます。そして、並走したまま香取駅へ進入します。

香取駅では、東京近郊区間大回り中の倫堕さんと合流。福岡の廃線を通じて知りあい、数々の廃線探索・乗り鉄を共にした者同士が、遠く離れた千葉の香取駅で再会して成田線の113系電車に乗っている・・・なんか変な感じでした。これからどこかの廃線探索へ向かってるような気分になりました(笑)
列車の旅は同行者居れば、時間が経つのが早いもので、さっき佐原駅を過ぎたばかりなのに・・と思っていたら、気が付いたら成田駅の手前まで来てて、成田新幹線・・・じゃなかった、成田線の支線と京成が通る高架橋が見えていました。今から25年位前、ここを初めて見た時の印象は「不思議で怪しい所」でした。添田線から油須原線を見た時の感覚と似てました。高架橋は線路を挟んで空港側のみ造られていて、成田線をクロスする計画だったことは一目瞭然で、すごく中途半端な感じでした。普通の高架橋と比べて、脚も多く、高さもあり、高架橋のお化けみたいな感じでした。所々に警備員みたいな人もいて、怪しさを倍増させていました。それが成田新幹線の未成線遺構だと知ったのは、成田駅から成田空港まで、この高架橋を再利用した新線が出来る頃でした。
↓80年代末の空中写真。

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当時は、この成田新幹線の高架の手前に、今のイオンがあるあたりになるのかな?、成田線から燃料輸送専用線の高架橋が延びていました。私がその存在を知って車窓から見た時は既に解体中でした。元々は成田空港建設のための資材運搬専用線だったそうです。(成田市立図書館・成田のあゆみ参照)その後も成田線と並走していた部分には専用線跡が残っていて、その後、そこに成田空港への支線が出来たような気がします(ちょっと記憶が曖昧で思い違いかもしれません・・)
その高架橋もついに成田線を跨ぎ、成田スカイアクセスとして開業したようです。右側から成田線我孫子支線が合流して成田駅到着。列車はここで終点。友部から権利放棄した長距離片道切符はここから再開。千葉駅に向かうために列車を待つ。短い乗り換え時間だったため、酒の調達が出来ず千葉まで我慢することに(笑) 程なく、成田空港発の快速が入線してきました。やってきたのはE217系。新しい車輌はあまり知らない私ですが、この車輌だけは何度か乗ったことがあるので知っていました。しかし、私の知識は甘かった。グリーン車以外全てロングシートだと思っていたんですが、倫堕さんに連れられて向かった先の車輌はセミクロスシート車がでした。銚子寄りにセミクロスがあるとは知りませんでした。さすがは倫堕さん、よくわかってらっしゃる(笑)

16時12分/4622F・逗子行き発車。
最初の停車駅は酒々井(しすい)。昔は小さな駅で快速も通過していたように記憶してるんですが、えらく近代的になっていました。その後、総武本線と合流して佐倉駅に停車。かつて、佐倉には機関区があってDD51やDE10が配置されており、鹿島線の貨物列車を牽引していたDD51には「佐」の区名札が付けられていました。今は機関区は無くなっているようですね。

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ここから次の物井駅までの間には総武本線の旧線跡があります。旧線があったというのだけ覚えてて、どこの区間だったか忘れてたんですが、実際に行って車窓を眺めていると感覚的に思い出すもんですね。佐倉駅を出ると、旧線は山の向こうへ進み、新線の方はトンネルで山越えします。その後、だんだんとこちらに近づいてきて、桁が残る橋梁跡や線路敷を見ることが出来ます。
それから、物井駅、四街道駅、都賀駅と停まり、東千葉駅を通過して千葉駅到着。そのまま乗っててもよかったんですが、下車して燃料調達(笑) ここでも下車印をもらって再入場。

売店で酒とつまみを買って、今夜の目的地「アキバ」へ向かうためにホームで列車を待つ。そして、またしてもセミクロスシートに着席成功。太陽が沈み、だんだん暗くなってきました。この辺まで来ると時刻表無しでも何とかなるので、どの列車に乗ったのかは覚えていません(汗)
錦糸町駅で下車して、総武・中央緩行線の電車に乗り換えます。ここでも下車印ゲット。そして、秋葉原駅に到着。
階段を降りて通路を歩いて、また階段を降りて・・と、さすがは立体交差の駅。山手線の高架のさらに上を通る総武・中央緩行線から改札まで移動する面倒臭さは折尾駅以上でした(笑) 下車印をもらって出場。ここに来て腰の痛みが酷くなる。あぁ〜痛い。なぜこのタイミングで・・。疲れが腰に来たのは初めてです。

おっちー、アキバに降り立つ(笑)・・・昔の電気街全盛時には来たことがあるんですけどね・・。
出発前の予定では、鉄道居酒屋に行くつもりでしたが、タイミング悪くイベントと重なってしまったようで諦めました。別の場所で飲みましょうとお誘いがありましたが、どうも腰が痛みが酷くなってきてるので、秋葉原界隈で飲むことにしました。倫堕さん、ご迷惑をおかけしてスミマセンでした。
飲む前に倫堕さんの案内でポポンデッタという鉄道物を扱うお店に連れていってもらいました。本が充実しており、しばらく物色してました。こういう店が近くにあるといいなぁ・・・って、先日、新聞読んでたら、新しい博多駅ビルに出店されるそうです。これは楽しみだ。

駅近くの居酒屋に行くも、満席で待ち客がごった返していたので、しばらく歩いて万世橋近くの飲み屋に入店。2人だけの飲み会開始(笑) 鉄話はもちろん、色んな話で異常な?盛り上がりをみせました。非常に楽しかったです。最終的には「男はみんな、やることは同じ」という結論に達し、お開きとなりました(なんじゃそりゃ・笑)

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コメント(2)

>倫堕さん
ネットで調べてて知ったんですが、
鹿島線の113系は今度のダイヤ改正で無くなったそうですね。
ちょうどいいタイミングで乗れて良かったです。

アキバの熱い夜(笑)は最高でした。次回は鉄道居酒屋で!
話の内容は鉄とは全く関係なかったですけど(笑)

北浦、眺めいいですよね。
また、再訪したいところです。

113系もよかったですよね!
我が京葉線の201系同様、あとわずかの国鉄ワールドを楽しみたいです。

E217系の酒盛りも楽しかったです。
そう、クロスシートは千葉寄り(錦糸町から見て)なのです。

秋葉原・・確かにここには書けない素晴らしい(笑)盛り上がりでした。
その後も、節度をもって、倫理が堕落してます。
そう、まさか、あんなに同じことを考えてるとは・・・・

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