37.記憶の引き出し

Category:たびぼうろぐ 2010.10 コメント(0)
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12時08分/141D・鹿島神宮行き発車。

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しばらくは常磐線と並走します。大洗鹿島線は、この並走区間に踏切があるだけで、あとは鹿島神宮駅まで1ヶ所もありません。元々道路があった所は全て立体交差になっています。ちなみに、JR鹿島線も鹿島神宮駅の先から起点の香取駅手前まで踏切が無かったはずです。
この路線は、元々は鉄建公団建設線AB線の鹿島線(B線)として工事が行われていました。先行開業した香取〜鹿島神宮(北鹿島)も鉄建公団によって造られました。国鉄末期、新線を受け取る余裕もなかった国鉄に代わって、1985年の3月に、鹿島線終点の貨物駅の北鹿島駅から鹿島臨海工業地帯への貨物線を運営していた鹿島臨海鉄道によって開業しました。鉄建公団建設線なので比較的新しく全体的にしっかりとした高規格な路線になっています。

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踏切は無く、どんな小さな道にも立体交差を作り、長い高架橋で田園地帯を貫く。レールもロングレール。素人目に見てもわかるほど、ローカル線には見られないデラックスな造りでした。随所で架線柱建植用の穴も見ることが出来ます。しかし、水戸は交流電化、北鹿島までは直流電化されています。もし電化開業させていたならば、どこにデットセクションを設けるつもりだったんでしょうねぇ・・。どっちにしても401系や403系、485系も?が鹿島台地を走る姿が見れたかも。

踏切を越えると高架橋を登り、常磐線と分かれて海側へカーブしながら大きなトラス橋を渡ります。市街地を抜けると最初の停車駅、東水戸駅に着きます。ここは交換可能な駅です。

東水戸駅から常澄駅を過ぎて大洗駅に着くまで、田園地帯の上を高架橋で通っていきます。在学中は、同乗者と話したりして、あまり景色を見ることが無かったんですが、あらためて見ると眺めはそこそこ良いですね。大洗駅に近づくと南向きに大きく進路を変えます。非電化区間の高架橋って、なんかスッキリしててイイですねぇ。

大洗駅では乗務員が交代します。ここからはワンマンになるようです。在学中は全ての列車がツーマンだったので、ちょっと違和感がありますね。水戸で乗った時に見た運賃箱と整理券で既に違和感を感じていましたが・・。ふと、窓から外を見ると、見晴らしの良さそうな大きな窓がある、運転指令室のような部屋がありました。そこに立ってこちらを見ている人に見覚えが・・・。確かあの人、運転士と車掌をどちらもやってた人やん。当時、兼任してる人って珍しいなぁと思ってたのでよく覚えてます。まだいらっしゃったんですね。なんか嬉しくなりました。「キロポストは線路のどっちにあっか知ってっか?」とか、トリビア的な話をしたのを思い出しました。いやぁ懐かしい。

大洗駅の次は、長いトンネルを抜けて涸沼(ひぬま)駅に着きます。ここも高架橋の上にある駅ですが、交換設備は無く片面ホームです。この駅にはホームの先端に使われていない柱があります。当時は、なんじゃこりゃ?と思っていたんですが、今考えると、ホームを支える柱だったようですね。

柱の先にも増設出来るようなスペースが確保されていますね。当時は全く気が付きませんでした(汗)
次は鹿島旭駅、ここは交換可能な駅。駅の風景を見ていると、この駅から通ってた後輩の顔がフッと頭に出て来ました。そうえいば居たなぁ、あんなコ。あだ名から喋り方から。1つ思い出すと、どんどん記憶が蘇ってきました。次から次に記憶の引き出しが開けられていきました。泥棒が入った後のタンス状態です(笑)
次は徳宿駅。切取区間の途中にある片面ホームの駅なので、地上から階段を降りる構造になっています。実はあまり印象に無い駅です・・・。いよいよ、次は新鉾田駅です。

何年ぶりだ? この駅で降りるの。高架駅なので駅周辺が一望出来るんですが、いやぁ、民家や店舗が増えてるなぁ。ビックリしました。ホームには数名、カメラを持った人がいる。撮り鉄さんか。中には撮り鉄子さんもいらっしゃいました。世の中変わりましたなぁ(笑)
駅名標のバックに見えている高台は山王台と呼ばれてて、何故か学校が集中している場所でした。高台にチラッと見えている校舎はうちの母校の特別棟で、そこから見える景色は北浦はもちろん、30キロ程離れた鹿島臨海工業地帯の航空障害灯まで見えていました。大変見晴らしが良い場所でしたねぇ。

水戸から乗ってきた列車を見送り、駅を出るために階段を降りました。

いやぁ〜懐かしい。この階段。
地上にある改札口へ降りる階段は1ヶ所しかないので、朝は人、人、人で大混雑してたなぁ。
大洗鹿島線の中で駅員がいる駅は新鉾田駅と大洗駅だけで、あとは無人駅です。窓口に居た駅員さんに水戸からの切符を渡して駅の外へ。かつてあった待合室は無くなっていて、広いオープンスペースになっていました。真冬や乗り遅れた時なんかは、その待合室で列車が来るのを待ってたなぁ。

_tabilog_t09.jpg鉾田滞在時間は2時間。あとでバタバタしないように成田までの切符を買っておこう。窓口にPOSらしき機械が見えていたので、駅員さんに聞いてみると、落雷で故障しちゃったので発券出来ないとこのと。親切に券売機での買い方を教えてくれました。
切符は連絡乗車券です。大洗鹿島線は鹿島サッカースタジアム駅がJRとの境界駅になっているので、こんな表記になっています。

当時は北鹿島駅という旅客扱いをしない貨物駅でしたが、当時の定期券を見ると経由地が「北鹿島」になっています。貨物駅が経由地に表記されるのは珍しいですよね。当時はそんなこと全く意識しないで乗っていましたけどね(笑)

鉾田上陸!!時間も無いので、毎日通っていた道を進んで、廃線となった鹿島鉄道鉾田駅跡へ向かおう。

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