故郷を巡る+芦屋鉄道

Category:廃線・未成線 コメント(13)

日曜日は娘を連れて嫁と息子に会いに行きました。母子ともに経過良好で予定通り帰宅出来そうです。で、娘は数日ぶりにママとあったので嬉しいのか妙にハイテンション。息子に対しては、恥ずかしいのか状況がよくわからないのか、なかなか見ようとしません(笑) お姉ちゃんになるんだよと言い聞かせていても、簡単には理解出来ませんよねぇ・・。
そんな感じで、狭い病室にいるのは耐えられないのか(飽きたのか)「おうち帰る」と言い出したので2時間ほどで撤収・・。その後、車に乗せたら即寝だったので、そのまま帰るのも勿体無いし、そのまま周辺をドライブすることに。

私の生まれは折尾。12歳まで浅川に住んでいました。
ですので、ローカルな話になりますが・・折尾・浅川・高須・梅の木・大君・山鹿・芦屋・岩屋・頓田貯水池あたりまでは、自転車でよく遠出したエリアでした。実は自転車に乗るには小学校発行の免許が要るという変わった所だったんですが、それが廃止になって一気に行動範囲が広がりました(笑)校区外なので校則違反っちゃ違反なんですけど(汗) 小学生時分ですから・・。今回は娘が起きるまでこの辺をうろついてきました。

まず向ったのが昔住んでた家。今も誰かがお住まいのようで健在でした。なんか嬉しくなりますね。近所の団地も昔のままですが、道路が妙に狭く感じたのは車が増えたせいでしょうね。当時は車を持っている方はあまり居ませんでしたから、路駐もほとんど無かったように思います。私は炭鉱閉山直後の新興住宅地民でしたが、私が居た頃はまだ炭鉱の面影がありまして、長屋、炭鉱施設跡、配給所跡のスーパーニッタン(のちに縄手バス停近くにニッタンショッピングセンターとして移転開業→スーパーダイエー?→封鎖?)がありました。2階建ての長屋は朧げながら覚えています。ザリガニ釣りをしていた沼やスーパーニッタン、お化け屋敷と呼ばれ探検したことがある日炭高松三鉱の巻揚機・変電所跡(参考→私が生まれる前ですが・・日炭高松--昭和30年代の日炭高松炭鉱(日本炭礦)・第三鉱)には大きな道路が通り、店舗・マンションが建ち並んでしまい昔の面影はありません。秘密基地だった森や化石取りをしていた岩山も住宅地になりました。日の峰山の麓にも住宅がびっしり並んでて、変わらないのは山頂付近と日の峰神社だけですね。子どもながらに変わった形だなぁと思っていたボタ山には結構木が生えていて、時間の流れを感じました。子を持つ年齢になったんだからそうだよなぁ(汗)
浅川橋はT字路で、突き当りには市営バスの転回場がありました。私が離れるちょっと前に高須団地が形成されて、どんどん街らしくなっていきましたね。広い公園や住宅街を区切っている緑道は当時の私には斬新に見えて、よく自転車で徘徊してました。今は高須団地の先も住宅街になっていて驚きました。
折尾〜本城西〜浅川〜高須と通って、つくづく緑が見えなくなったなと思いました。
一部は昔のまま、一部は様変わり・・と何とも複雑な心境ですね・・。

次に芦屋方面へ向いました。そこで、かなり前から気になっていた物を見てきました。

ashiya1.jpg

芦屋線の前身の蘆屋鉄道西蘆屋駅跡です。芦屋町役場の近くにあります。

ashiya2.jpg

この駅跡碑の裏面には・・
芦屋鉄道株式会社は大正四年(一九一五)四月に開業。終点の遠賀川駅まで約六キロメートルの間、貨客の輸送をした。駅舎の建物があったのは西芦屋、東芦屋と遠賀川で、浜口、鬼津、松の本には停留所があった。鹿児島本線と接続してこの地方唯一の交通機関であったが、乗合自動車などの出現によって漸次経営不振となり、昭和六年(一九三一〉十月に廃業した。
とあります。短命な鉄道だったんですよね。その後、線路敷の一部は芦屋線として蘇りました。その芦屋線も廃線になりましたけど・・。この西芦屋駅跡は、芦屋線の筑前芦屋とは場所が違います。芦屋の市街地に入る付近で別ルートになっていたようです。また、遠賀川駅へのルートも違っています。これは米軍航空写真で跡地らしきものを確認出来ます。芦屋線の方は今のR3バイパス付近から大きくカーブして遠賀川駅へ向っていました。その線路跡は無くなって久しいですが、ちょいと見てきました。
ちょうどこの辺で娘が起きたので、カーブ跡付近にある公園へ行くことに。
ココ、車窓から見えて、気になっていた公園なんですよ。

ashiya4.jpg

この遊具はわざとこれにしたのか?(笑) 芦屋線は写真中央のアパート付近から撮影地点方向に大きくカーブしていた感じです。子どもの頃はその線路跡が確認出来たんですが・・。

この公園、鹿児島本線のすぐ横にあって、次から次に列車が通ります。娘はコンビネーション遊具に夢中、パパは列車に夢中と、子連れ鉄には打って付けの公園じゃないでしょうか(笑)

ashiya5.jpg

こんな感じで列車が通ります。遊具の中で窓口氏をしてるのは娘(笑)
ココはイイ!また来ようと思います。



●おまけ
西芦屋駅の碑の近くにあった用地杭?らしきもの。
影の具合で一瞬「工」に見えてしまいました(汗) んな訳ないだろうと思いよく見ると、

ashiya3.jpg

ん〜、よくわかりませんでした。
頭は「日」だと思うんですが、次がわかりませんでした。
触感でもよくわからず・・。

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コメント(13)

>golgodenkaさん
西蘆屋駅の碑は、芦屋町役場の西側、バス通り沿いにあります。道路を挟んだ対面には個人店の写真館があるので目印にするとよいかと思います。

GPS転送のためのデータ作成ですか、なんだかハイテクな?方法ですねぇ。(私が知らないだけか・汗) 私はgoogle map APIで廃線跡マップを作成しようと基礎データを準備しましたが、集中出来る時間が取れなく、やり始めても途中で作業中断せざるをえない状況になり、「えーくそ、めんどくさ」となって頓挫してます(汗)

意味もなく自転車で遠征する気持ちはわかります(笑) 皆さんもあったでしょ?

旧停の件、なるほど。旧版では「停車場」になってるんですね。開業時から「旧停車場」のわけがないですしね。今も使われている字名にあえて「停」の字を残したセンスが素晴らしいと思います。現在なら、歴史的観点を全く無視した、しょうもない地名になりそうですね。

杭の件は、全くわかりませんでした。golgodenkaさんの調査に期待したいと思います(汗)

>ちくまえ。さん
見てたら、golgodenkaさんに連絡してください。よろしくお願いします。

今後のゴールデンウイークにこの芦屋線及び蘆屋軽便鉄道跡も辿ってみようと思っているためとても参考になりました。

まだ作成途中ですが、現地調査用に GPS 転送のため廃線跡をえいやっと描いてみました。 http://bit.ly/ap1qrB

# 恐らく間違いも多いし、現地ではいろいろ取りこぼす(もしくは諦める)と思いますが。

私の母校直方市植木小学校では自転車免許は不要でしたが、意味もなく芦屋付近まで自転車で一人で出かけて泣きそうになりながら帰還した記憶があります。

手持ちの旧版地形図では『旧停』付近は『停車場』という地名です。従って、現 JR の遠賀川駅移転後に『旧停』になったのかも知れません。

この辺の経緯は芦屋町史等に期待したいしたいところです。

最後の境界標のようなものはかなり気になりますね。私も現地で探してみようと思います。

別件で申し訳ないのですが、数日前からちくまえ。様ブログへのコメント投稿が『システムから拒否』され続けてできない状況です。何か注意点等ご存知でしょうか。掲示板からのメール送信も同様に不可のため連絡ができないです。。。

>移動距離
細かい数値が気になったので、サイトは育児休業気味ですがちょっと考えてみました。

大事典を見ると移転前の折尾〜遠賀川の駅間距離は「2M41C」となっています。
2M41C=3,218.688m + 824.7888m = 4043.4768m

昭和52年の信号機位置図の門司港起点の距離を見ると、
折尾/31k060m、遠賀川/35k300mで駅間距離は4k240m = 4,240mになります。

ということは、移転後から距離に変動が無ければ、移動距離は196.5232mとなり、
旧停車場の位置は、35k300m - 196.5232m ≒ 門司港起点 35k103m となります。

WEBのマップでザクッと測ってみると、だいたいこの辺かと・・
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=33.847348928374956&lon=130.675352984952&z=18&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=33.849511939636&hlon=130.66329645543&layout=&ei=utf-8&p=

ちょうど旧停地区にかかります。
車窓から35k100mのキロポストをチェックするのもいいかもしれません。


>折尾の短絡線
SL全廃後も室木線の旧客回送等に使われていました。
子供の頃に何度か目撃したことがあります。室木線と香月線が同じ車両で運用されていたようです。
貨物・客車列車廃止によって用無しになったのでは?と思います。

今から数年後にはほぼ同じルートで新しい筑豊本線が・・(汗)

>チョビ様
理由までありがとうございます!
長年の謎がスット消えました!♪
おっちーさんも追加資料ありがとうございました!

室木線と言えば最近知ったのですが、折尾駅付近にあった筑豊線の短絡線って室木線がなくなったため、若松機関区にSLを回送することがなくなったので、廃線になったと聞きました。

●訂正
遠賀川〜新延は遠賀川〜室木でした。駅間距離項目と開通区間を見間違いました。

約1年のずれがありますね(笑)

やはり、詳細な業務資料はいいですね!

>F355さん
遠征(とは言わないか・・)されてたんですね。
もしかしたらニアミスしてたかもしれませんね(笑)
横の駄菓子屋って言うと・・・何軒かありましたが、
南側校門前の後藤商店?北側の江川近くの三好酒店?
児童館前は覚えてないなぁ(汗) 懐かしいです。

>ちくまえ。さん
カマボコ板免許の取得に失敗した身からすると、
あの板は一種のステータスシンボルみたいなもので憧れのブツでした(笑)
必ず校区外に出てるのをチクる奴がいました。

>blue fieldさん
>チョビさん
フォローサンクスです。旧停に目をつけるとは流石です!
その通り、旧停車場から付けられているようです。
ちなみに停車場変遷大事典によると・・・
1908年(明治41年7月1日)に遠賀川〜新延〈後の室木線鞍手)開業と同時に移転。
移転距離は博多側に0.1マイル=160.9344 メートル移動されています。
表記が哩鎖→哩(小数点1位)に簡略化された後なので、0.1マイル前後になると思われます。

>blue fieldさん

駅舎は現在の遠賀川駅より200m東にあったらしいです。

移転した理由は、

・室木からの石炭を運ぶため室木線を新設する

・鹿児島本線複線化と城山トンネル開通で列車数が増加する。

この2つの理由で旧遠賀川駅では手狭というのが移転の理由らしいです。

因みに移転したのは明治40年5月らしいです。


>チョビ様
やっぱり!ここ数年の謎が解けました。ありがとうございます!ちなみに、駅舎が移った時期は記載されておりましたか?

>blue filedさん

遠賀町の旧停って住所ですが、お察しの通り『旧停車場』の略みたいです。

今の駅舎の場所になるまえは旧停って場所辺りに駅があったらしいです。

その前、古本屋で買った本に書いてありました。

管理人さま、失礼いたしました。

芦屋線、芦屋鉄道も行きたいのですが、遠い先です・・。
ちなみに遠賀川駅の東側の地名が「旧停」と言います。なんだか気になる地名なんですが、ご存知ありますか?

同じく自転車免許(カマボコ板に焼印)世代ッス
国境(学区)を越えると襲われるという噂もあって
隣の学区に行くのは命がけですた(笑)

淺川小は免許がありましたねぇ
小学校横の駄菓子屋によく行ってたんですが
免許が無いとよくいわれました

児童館前の駄菓子屋にも行きましたねぇ

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