2010年1月アーカイブ

黒く白い山

Category:雑記 コメント(6)

この前の日曜日のお話。

近所のドラッグストアにベビのミルクとおむつ、
晩ごはんの材料(珍しく調理担当)を買いに行ったんだけど、
あの手の店ってついつい関係ないものまで買ってしまうよね・・。
で、目に飛び込んできたのが「アイス3割引」のポップ。
寒いけど妙に食べたくなることってあるよね(笑)

手に取ったのが、県民アイスと言っても過言ではない!?

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作ってるのは佐賀ですが・・。そう「ブラックモンブラン」しかもスペシャル。
モンブランってフランス語で「白い山」なんだそうな。今考えると黒くて白い山?え?なんですが(笑)
このアイス、学生時代は毎日食べてて、披露宴のネタにもなったほど大好きでした。
1日3本とか平気で食べてましたね(笑)

久しぶりに食べましたが、相変わらず美味いですね。
クランチの粒の具合といいチョココーティングの厚さといい中身の程よい甘さといい、
他の類似品を寄せ付けない魅力があります。

美味しくいただいた後は、お楽しみのアレです・・・


あたりました!!



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絵本でも買ってやるか〜。


金見鉄道 201001

Category:廃線・未成線 コメント(7)

ある朝、通勤中に上司から電話が。
「あ、おっちー?来る時に糸田に寄ってくれる?」
「・・・(瞬時に三井鉱山セメント専用線を思い浮かべる)・・・いいですよ!」
内容的にはパシリ的なものでしたが(汗)
目的地への道程が専用線の途中をトレース出来るルートなので、
これは寄るしかないでしょ。

てことで、金見鉄道(三井鉱山セメント専用線)の町境のガーダー橋付近から金田までチェックしてきました。

↓ここから烏尾峠の麓を通って工場まで続いていました。今回はここから金田へ向います。

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↓こっちは金田方向。雑草が生えた台形の盛土が探索心をくすぐってくれます。

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↓かつてクロスしていた箇所の金田側の盛土は撤去されて道路化工事が進んでいます。

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↓ 泌川に架かっていたガーダー橋は撤去されて、そばで桁の解体作業をしていました。

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↓急勾配が始まる地点から見立方向を見たところ。右中奥にガーダー橋。

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↓線路跡に転がる用地杭。

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上の写真から金田方向へ進むと踏切跡がいくつかあって、一部機器も残っています。


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↓ある踏切跡に残っていた用地杭。三井と小野田の2タイプあったんですね。

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踏切跡はまだ続くよ。

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↓折られた形で無残に横たわるキロポスト。

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↓この勾配を抜けると中元寺川に架かる橋梁跡があります。

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非常に歩きやすそうですが今回は我慢・・。
中元寺川の橋梁跡は少し腐食が進んだ感じですが、以前と同じ姿で残っています。

↓上流側

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↓下流側

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銘板も付いていますが全部解読出来ませんでした(汗)
小野田セメント株式会社、活荷重KS-15、昭和38年はわかるんですが・・・。

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↓ここから勾配を下って金田駅へ進んでいました。

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上の写真のカーブを曲がった付近に残る橋台跡。片側のみで反対側(金田側)は整備されています。

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今回は突発的で、車からの撮影や降りて撮って乗ってのテキパキした作業(笑)だったので、じっくり探索出来ませんでした。(そりゃそうだ)

またいつか全線トレースしたいなぁ・・。


大雪の日に母子帰宅

Category:雑記 コメント(4)

phoblogは育児休業気味なので、更新&ネタ整理がほとんど出来てません(汗)
私が唯一動ける日曜日も嫁にあまり動いてほしくないので、
朝から掃除に選択に子供の面倒見と買い物と・・・あっ言う間に一日が終わってしまいます。
ちょうど今、みんな昼寝したので、ダッシュで私用を片づけています。

てことで、今さら?ですが、1月13日の大雪の日&母子退院の記事をば・・・

●1月13日

出産後、母子ともに順調に回復・成長してたので予定通り退院することに。
朝起きて、暗いながらも外が妙に明るさがあり、異様なまでの静けさがありました。
もしやと思いカーテンを開けると・・・銀世界・・。

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車の屋根に積もった雪を測ってみると12cmありました!久しぶりの大雪です。

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迎えに行く日にこんなに降らなくても・・・。すぐさまタイヤチェーンの装着。
年に1〜2回しか付けないので、時間のかかることかかること。
出発時間が大幅に遅れました。

遠賀川の土手もこの状態。

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途中、スリップ事故を起こしたのか放置されてる車を何台か見て、北九州まで行けるのかぁ?そう思いながら走っていると、だんだん積雪量が少なくなってきて、中間を過ぎた辺りから積もるどころか全然降ってませんでした。まわりの車もノーマルタイヤ。「おいおい、チェーン巻いてるよ。どこの田舎から出てきたんだww?」状態で、恥ずかしかったので途中で外しました(汗) それでも対向車のドライバーから指をさされてるし。何?
なんとか無事に病院に着いて、降りてびっくり。12cmの雪を載せたまま北九州まで来たようです。画像はその後、雪崩が起きたもの(笑) そりゃ、対向車に指さされるわ。

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家を出る前に嫁に「迎えに行くけど雪が酷い」って話してたんだけど、こちらは全然雪が降ってないので、イマイチ何を言ってるかわからなかったみたい。しかし、これを見て納得した様子(笑)

帰りも安全運転で無事に母子ともに帰宅しました。よかったよかった。

お前が退院した時はなぁ、大雪で大変だったんぞぉ・・・って、息子は一生言われそうな気がします(笑)


実はその晩も雪が降って、次の日まで雪が残りました。
いつもの通勤路もスリップ事故で大渋滞が起こり、迂回させられました。

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おかげで朝日をバックに煉瓦橋脚のトラス橋を走る平筑を見ることができました。


故郷を巡る+芦屋鉄道

Category:廃線・未成線 コメント(13)

日曜日は娘を連れて嫁と息子に会いに行きました。母子ともに経過良好で予定通り帰宅出来そうです。で、娘は数日ぶりにママとあったので嬉しいのか妙にハイテンション。息子に対しては、恥ずかしいのか状況がよくわからないのか、なかなか見ようとしません(笑) お姉ちゃんになるんだよと言い聞かせていても、簡単には理解出来ませんよねぇ・・。
そんな感じで、狭い病室にいるのは耐えられないのか(飽きたのか)「おうち帰る」と言い出したので2時間ほどで撤収・・。その後、車に乗せたら即寝だったので、そのまま帰るのも勿体無いし、そのまま周辺をドライブすることに。

私の生まれは折尾。12歳まで浅川に住んでいました。
ですので、ローカルな話になりますが・・折尾・浅川・高須・梅の木・大君・山鹿・芦屋・岩屋・頓田貯水池あたりまでは、自転車でよく遠出したエリアでした。実は自転車に乗るには小学校発行の免許が要るという変わった所だったんですが、それが廃止になって一気に行動範囲が広がりました(笑)校区外なので校則違反っちゃ違反なんですけど(汗) 小学生時分ですから・・。今回は娘が起きるまでこの辺をうろついてきました。

まず向ったのが昔住んでた家。今も誰かがお住まいのようで健在でした。なんか嬉しくなりますね。近所の団地も昔のままですが、道路が妙に狭く感じたのは車が増えたせいでしょうね。当時は車を持っている方はあまり居ませんでしたから、路駐もほとんど無かったように思います。私は炭鉱閉山直後の新興住宅地民でしたが、私が居た頃はまだ炭鉱の面影がありまして、長屋、炭鉱施設跡、配給所跡のスーパーニッタン(のちに縄手バス停近くにニッタンショッピングセンターとして移転開業→スーパーダイエー?→封鎖?)がありました。2階建ての長屋は朧げながら覚えています。ザリガニ釣りをしていた沼やスーパーニッタン、お化け屋敷と呼ばれ探検したことがある日炭高松三鉱の巻揚機・変電所跡(参考→私が生まれる前ですが・・日炭高松--昭和30年代の日炭高松炭鉱(日本炭礦)・第三鉱)には大きな道路が通り、店舗・マンションが建ち並んでしまい昔の面影はありません。秘密基地だった森や化石取りをしていた岩山も住宅地になりました。日の峰山の麓にも住宅がびっしり並んでて、変わらないのは山頂付近と日の峰神社だけですね。子どもながらに変わった形だなぁと思っていたボタ山には結構木が生えていて、時間の流れを感じました。子を持つ年齢になったんだからそうだよなぁ(汗)
浅川橋はT字路で、突き当りには市営バスの転回場がありました。私が離れるちょっと前に高須団地が形成されて、どんどん街らしくなっていきましたね。広い公園や住宅街を区切っている緑道は当時の私には斬新に見えて、よく自転車で徘徊してました。今は高須団地の先も住宅街になっていて驚きました。
折尾〜本城西〜浅川〜高須と通って、つくづく緑が見えなくなったなと思いました。
一部は昔のまま、一部は様変わり・・と何とも複雑な心境ですね・・。

次に芦屋方面へ向いました。そこで、かなり前から気になっていた物を見てきました。

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芦屋線の前身の蘆屋鉄道西蘆屋駅跡です。芦屋町役場の近くにあります。

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この駅跡碑の裏面には・・
芦屋鉄道株式会社は大正四年(一九一五)四月に開業。終点の遠賀川駅まで約六キロメートルの間、貨客の輸送をした。駅舎の建物があったのは西芦屋、東芦屋と遠賀川で、浜口、鬼津、松の本には停留所があった。鹿児島本線と接続してこの地方唯一の交通機関であったが、乗合自動車などの出現によって漸次経営不振となり、昭和六年(一九三一〉十月に廃業した。
とあります。短命な鉄道だったんですよね。その後、線路敷の一部は芦屋線として蘇りました。その芦屋線も廃線になりましたけど・・。この西芦屋駅跡は、芦屋線の筑前芦屋とは場所が違います。芦屋の市街地に入る付近で別ルートになっていたようです。また、遠賀川駅へのルートも違っています。これは米軍航空写真で跡地らしきものを確認出来ます。芦屋線の方は今のR3バイパス付近から大きくカーブして遠賀川駅へ向っていました。その線路跡は無くなって久しいですが、ちょいと見てきました。
ちょうどこの辺で娘が起きたので、カーブ跡付近にある公園へ行くことに。
ココ、車窓から見えて、気になっていた公園なんですよ。

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この遊具はわざとこれにしたのか?(笑) 芦屋線は写真中央のアパート付近から撮影地点方向に大きくカーブしていた感じです。子どもの頃はその線路跡が確認出来たんですが・・。

この公園、鹿児島本線のすぐ横にあって、次から次に列車が通ります。娘はコンビネーション遊具に夢中、パパは列車に夢中と、子連れ鉄には打って付けの公園じゃないでしょうか(笑)

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こんな感じで列車が通ります。遊具の中で窓口氏をしてるのは娘(笑)
ココはイイ!また来ようと思います。



●おまけ
西芦屋駅の碑の近くにあった用地杭?らしきもの。
影の具合で一瞬「工」に見えてしまいました(汗) んな訳ないだろうと思いよく見ると、

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ん〜、よくわかりませんでした。
頭は「日」だと思うんですが、次がわかりませんでした。
触感でもよくわからず・・。

welcome

Category:雑記 コメント(8)
ようこそおっちー家へ。
我が家に新しい家族が増えました。お昼過ぎに無事に元気な男の子が誕生しました。
嫁は前回と同じくカイザーで出産。
術後の痛みに耐える姿は見るのが辛かったですが、新しい命の誕生を共に喜びました。

ありがとう、そして、これからは平坦な線路だけではなく、
時には補機が必要な勾配があるかもしれないけど、共に進んで行こう。


どうでもよい数字にまつわるお話を・・・

娘の誕生時の体重=嫁の車のナンバーでした。
昨年、私が車を運転中にすれ違う車や前方の車のナンバーを無意識にパッと見た時、
とても多かったのが上2桁が「16」「12」→息子=1月6日・12時12分出産。

偶然でしょうけど不思議なこともあるもんですね。

賀正

Category:雑記 コメント(12)

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皆様、明けまして賀正。
2009年は大変お世話になりました。
今年もいつもの調子でやってまいりますので、よろしくお願いいたします。

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