小竹駅の煉瓦

Category:レンガスキー コメント(3)
風邪が長引いて体調がイマイチですが、午前中に久しぶりに単独行動が許されたので(笑)、枝国→幸袋→目尾→小竹→新多〜菅牟田→磯光→筑前宮田→勝野と行ってきました。晴れたり曇ったりで体感温度の差が大きく感じられる日曜日でしたね。洗濯物の乾きもイマイチでガックリです(汗)

さて、その中から1つ。
以前から、小竹駅の鯰田側の西側にある煉瓦遺構が気になっていたので探索。
(ちなみに東側には煉瓦造りの古河所有?のポンプ室みたいなのがあります。)
場所の確認。画面左が北向(筑豊本線勝野方)

kotake0.jpg

1981年の空中写真より。駅はまだ地上にあります。
青い部分が現在の道路。駅は交差点の左下角に橋上駅舎になって移転。
今回の記事は「←これ」部分の煉瓦構造物。
拡大すると、

kotake000.jpg

現在の状況を現・小竹駅勝野側から見ると、(画面中央の黄線部分)

kotake00.jpg

で、現地に行って見ると立派な煉瓦構造物が残っていました。
煉瓦の凹部分を数えたら5〜6線分はありました。

kotake01.jpg

筑豊本線上り線横から見たところ↓

kotake02.jpg

上り線の横ってことは幸袋線の跡になるのかな?
で、その隣は塩頭貨物支線の跡で、その隣は側線が並んでいたのかな。
炭鉱全盛時は筑豊本線のなかでは中規模な駅だったらしいけど、この煉瓦遺構を見て明治〜大正時代には多くの側線を持つ駅だったことがわかりますね。延伸時の終着駅だったこともあるし、幸袋線・塩頭・新多からの石炭輸送も集まってくるし、石炭車の数も半端なもんじゃなかったでしょうね。
私はこの駅には降りたことはなく、一停車駅程度の範疇でしか覚えていませんが・・・昭和50年代前半、広い構内の側線に申し訳程度の数両のセラと貨車が留置してただけのなんとも寂しい駅・・そんな印象でした。まぁ、その頃は、鯰田・勝野あたりもそうでしたけどね(汗)

煉瓦構造物から現在の小竹駅を見たところ↓

kotake03.jpg


ちなみに、空中写真を見てもわかるように新多への貨物支線は駅の勝野側から分岐していました。数年前に陸橋の先の道路から撮った写真ですが、その跡がわかります。

kotake05.jpg

駅の西側が整備されて一部の線路跡が無くなってしまいましたが、今でも矢印付近の跡と付け根部分のコンクリート橋跡は残っています。新多方面の線路跡は、ここを除いて全て道路と遊歩道になっていますが、コンクリート橋跡らしきものが遊歩道に1ヶ所残っています。


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コメント(3)

>トライスターさん
こんな小さい規模のものでも、しっかりと煉瓦が積まれていて
我々レンガスキーにアピールしています(笑)
こんな駅(失礼・・)に何本もの側線があったなんて今では信じられないですね。
黒い集団が所狭しと並んでいたんでしょうねぇ・・。

>blue fieldさん
私と娘はほぼ回復した感じですが、嫁と大ばぁばが完治してませんねぇ・・。
実はココずっと探索してみたいと思っていた場所でした。
車窓から草むらの中に一瞬見える長い煉瓦構造物。その一瞬がたまらんのです(笑)
現地は溝で水は流れていますので落ちないようにお願いします。
確かに嵩上げた形跡はありませんでした。もしかして地区全体で下がっていたとか!?

風邪の具合はいかがでしょうか?自分も家の洗濯係りなので、渇きがいまいちだとガックリです・・。
さて、こんなレンガ構造物が残っていたとは驚きです。嵩上げがないということは、あまり沈下がない地区だったのかな~と思います。年末子供と一緒に徘徊してみます(爆

なるほどですね!!
このような遺産は個人的にも気になります!!
しかし炭鉱が栄えていた頃は鉄道も
激しく行き来していたんでしょうね~

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