折尾 III (謎の専用線跡)

Category:廃線・未成線 コメント(14)
昭和初期の折尾駅付近の地図の中に、本城信号場(現・本城駅)〜折尾駅間から、サンリブ折尾付近に向っている鉄道路線が載っているものがあります。以前より気になってる線でしたが、どこの会社の線路なのかさっぱりわからない謎の線でした。4月に折尾へ行く用事があって、嫁から2〜3時間単独行動が許されたので(笑) 何かないものかと再探索しました。

位置的にはこの辺。

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国土変遷アーカイブの方が分かりやすいかと思います。1948年(米軍)1961年


まずは短絡線跡がわかる踏切から。

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短絡線跡はレールやマクラギはありませんが、踏切に痕跡を見ることができます。
画像左側が若松方面、右側が折尾方面です。

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↓産業医大へ抜ける橋の下より。

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写真の左側が折尾、右が若松方面です。
謎の引込線がどの地点から分岐していたのかは全く不明ですが、ここでは周辺の空き地・藪具合・線路配線の都合を考えて、上の写真のように短絡線の北側を通っていたんじゃないかな?と推測しました。

少し折尾側へ進むと小さな踏切があります。そこからも短絡線跡を見ることができます。ちょうど立ってる位置が短絡線上です。謎の専用線跡は写真左側の草むらよりもさらに左側にあった感じです。

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私の携帯で高速移動する物を撮るとこんな感じのオモシロ画像になります(笑)
処理が追いつかないんでしょうなぁ。それはいいとして、謎の専用線は写真内の「この辺」と表記してる所を通っていたようです。国土変遷アーカイブをよく見ると、そこは架道橋になってた感じです。実際、そこの片側はちょっと高さのある壁があって家が建っています。その先、サンリブ側は川に沿った狭い道路になっています。

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↓これがその狭い道路。すぐ横が林なので恐らく線路跡じゃなかろうかと・・。

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いつものように杭探しをしていると、林へ登る道の入り口部分にアヤシイ杭を発見。

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扇にSっぽい文字。・・・なんだこれ?

昨日まではそう思ってました。香春の日本セメント専用線跡のエントリー内でも書いたように「浅野セメント」の用地杭のようです。何故ここに?

調べてみると色々と繋がって面白くなってきました。

サンリブ折尾のそばにある福原学園。公式サイトの沿革を見ると「1943年(昭和18年)、私学建設用地として遠賀郡折尾町大字本城字大浦の原野を浅野セメント(株)より取得」とあります。ということは、この辺一帯は「浅野セメント」の社有地だったようです。
また、サンリブ折尾の建物は「SLビル」といい、所有しているのは「太平洋不動産株式会社」会社合併や商号変更でややこしいんですが「アサノ不動産株式会社」時代に建設しています。元を辿れば日本セメント(浅野セメントの後身)に着きます。
さらにググってみると、セメント製造用の粘土を採取していたという情報もありました。
停車場変遷大事典の本城信号場を見ると、1927年(昭和2年)2月5日より専用線発着貨物取り扱い開始とあります。いつまで行われていたかは分かりません。ちなみに同日より「本城信号所」から「本城信号場」に変更になってます。

これらを総合的に考えると、謎の専用線は「浅野セメントの専用線」だったということですかね。
橋台跡等の分かりやすい遺構があればいいんですけどねぇ・・。
100%間違い無し!の太鼓判は捺せません(汗)


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コメント(14)

>りんとん静流さん
こちらこそ、はじめまして。
おぉ、線路遺構があった時代をご存知なんですね!
私の一番古い記憶では既に造成中でしたから、何があったのかすら分かりませんでした。

マムシ谷ですか(笑) 浅川・本城周辺は地形的に谷が多かったように思います。
私が小学生の頃は産業医大はマムシ以外にも近づいたら怖いという話が・・・
裏門近くを通ると連れて行かれて実験に使われるという噂がありました。子供らしい話ですね(笑)

はじめまして
大浦の引込み線をググってこちらに流れてきました
記事に書いてある場所は、小学生の時遊び場でした
ポイントを動かそうと頑張ってみましたが、力不足で動かなかった事は記憶にあります
産業医科大はマムシ谷と呼ばれてた場所に建ってます
出来た当時、マムシ注意の掲示がありました

>golgodenkaさん
忘れた頃のコメント、全然OKです。ありがとうございます。
私は恥ずかしながらその本のシリーズは1冊も持ってないんですよ(汗)
そんなところに情報があったとは・・。
浅野セメントの専用線で100%間違いなしですね!
手元にある昭和20年末期の線路略図を見ると、信号場内に6本の線路があります。
当時は専用線からの入れ換え等でそれだけ必要だったんでしょうね。
短絡線が無くなる頃は3線、その後複線になり、今は旅客駅に。歴史を感じますね。

ありがとうございました。古本屋漁ってみようかな・・(汗)

旬の話題に忘れた頃に反応します。たまにはお役に立てればと思い、気になってちょっと調べてみました。

トワイライトゾ~ン MANUAL 8 に収録されている昭和 26 版の専用線一覧には以下の記載があります。

所管駅:本城信号場
専用者:日本セメン株式会社門司工場
作業方法:国鉄機・手押
作業キロ:1.5
専用線の種別:側線
記事:浅野

手持ちの史料では昭和 5 年版にも掲載があり、そこでは同じく 1.5km で『淺野セメント』との記載があります。

これが推測されている通りビンゴだと思います。まさに浅野セメント専用線です。種別が本城信号場内の側線ですので、『専用鉄道』ではなく、『専用線』です。

>さっかーさん
ほぉ、お散歩コースでしたか。結構な距離になるんじゃないでしょうか?
アップダウンもありますし(汗) いい運動になりますね!
あの杭はUPしてる狭い道の画像の撮影位置よりも少し本城側の山側にあります。
坂道の入り口付近だったので見つけやすと思いますよ。

日本鉄道旅行地図帳の情報量はスゴイです!
細かい運炭線関係を除くと、ほぼパーフェクト掲載なんじゃないでしょうか?

なんと、私の散歩道。そんな杭全く気が付きませんでした。

実は、先日購入した「日本鉄道旅行地図帳12号」にもヒゲのような路線が書いてありまして、少々興味があったところでした。

本城の信号場は昭和45年まであったみたいですね。しかも廃止は私の1歳の誕生日!!因縁を感じます!一体何が(笑)

>がんさん
私も調べてみてビックリでした。南武鉄道。
当時の輸送は鉄道が主でしたから、そうなったとはいえ、
見方を変えると皆鉄道好きか(笑)
杭はあれ1本しか見つけきらんかったですけど、まだ眠ってる杭があるかも!?

東京競馬場が目黒から府中に移ったのも当時浅野セメントが所有していた南武線の利用促進のためだったという有名な話があります。
元々浅野財閥は鉄道好きだったのかも?(笑)
その南武線を管理していた子会社の南武鉄道が現在の太平洋不動産というワケです。

ちなみに現在の太平洋セメントは秩父、小野田、浅野(日本セメント)の3つが合併した会社ですが、秩父は秩父鉄道、小野田は岩手開発鉄道の筆頭株主でしたから(もちろん現在も太平洋セメントが筆頭株主)、鉄道好きが集まって出来たと言えるかも?(笑)

しかしこの本城駅付近、以前歩いた時に「何かある」とは思っていましたがビンゴだったんですね。
調べてみればよかった。

>黒ウサギさん
ほぉ、そうでしたか。
呼野に門司に小倉に折尾に香春・・北九州でも幅広くやってたんですねぇ。
さすがは臨海工業地帯開発の父!

この場所とは関係ないですが、呼野の例の構造物も元の所有者は浅野セメントです。

>F355さん
うちの母も折尾育ちなので聞いてみたところ・・・
あぁ、なんかあったような気がする。高松の炭鉱のやつじゃない?(違うんですケド)
あの辺では遊んだ記憶がないから・・・そういえば、あの池で同級生が入水自(略)・・
と、こちらが求める答えとは違うものが返ってきました(汗)
線路に関しては何十年も昔のことなので記憶が曖昧のよう。

>ashiwodiさん
小倉の浅野の地名も浅野財閥からきてるようです。
確か、鶴見線は人名にちなんだ駅名が続いてましたよね。

>元急行はんださん
ありゃ?blog閉鎖されたんですか?
私もこの線は地図で見て以来ずっと気になっていました。福原学園のHPの記事を見るまで、大浦一帯が浅野セメントのものだったとは知りませんでした。杭が残っているのも、実はまだ少し所有地があったりして・・。法務局で調べるとわかるかも。

こんばんわ。
おぉ...(;ノ゚ο゚)ノ

この場所は、私も捜索しておりました。
ブログを緊急閉鎖する前に、UPしていたポイントでもあります^^。

私が最初に気が付いたのは、「日炭高松炭鉱の記憶」サイト内で、
見たことのない線路情報が目に止まりました。
それで、炭鉱系の支線跡なのかな?と思い、調べていました。

当時、航空写真をPhotoshopで詳しく調べた際に、
管理人様がUPされている(キハ47が写っている民家付近)に、
橋梁台跡が有ったのではないか?と思しき陰が有りました。

しかし、浅野セメント系である可能性も有るのですね(驚。
更に驚きましたのは、「S杭」が有ったとは...^^;。

otcheeさん、こんにちは。
記事を読んで鶴見線扇町駅を思い出しました。
埋立地である扇町周辺は浅野財閥が開発した土地で、浅野家家紋の扇から地名を扇町と名づけました。さらには鶴見線には浅野という駅もあり、ここも浅野財閥にちなむようです。

おー!!
サンリブのとこがまだ池だー

両親が知ってるかもなんで聞いてみますね

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