今は休みが日曜日のみなので、趣味には時間を使いにくいですが、なんだかんだ言いながらもとりあえず毎週チェックしてます→嘉穂信号場
今日は単独行動が許される朝のうちに見てきました。
パッと見、工事が進んでないように見えますが、来る度に何かが変わってます。
日吉巻揚踏切跡から先は今の工区から外れてるようなので大きな変化はありません。
アーチ橋があった箇所は暗渠になり上部は土が盛られて地続きになってました。
踏切脇のこの外柵。よく見ると、端末・中間柱にレールが使われています。
さらによく見ると・・
1925年(大正14年)モノでした!
今日は単独行動が許される朝のうちに見てきました。
パッと見、工事が進んでないように見えますが、来る度に何かが変わってます。
日吉巻揚踏切跡から先は今の工区から外れてるようなので大きな変化はありません。
アーチ橋があった箇所は暗渠になり上部は土が盛られて地続きになってました。
踏切脇のこの外柵。よく見ると、端末・中間柱にレールが使われています。
さらによく見ると・・
1925年(大正14年)モノでした!
>blue filedさん
次工区ではあの辺やっちゃいそうな悪寒・・。
ということは信号機も曲線標も時間の問題ですかねぇ。
レールの刻印は古くからあるようですよ。
年号だけみてマークをチェックするのを忘れてました。たぶん八幡製鉄所製!?
>けんたんさん
blog拝見しました!
最近はマメに各線跡をまわることが出来ないので、現在の様子がわかって助かります。
嘉穂信号場のエントリーに出てくるおばあさんの話はグーでした!
廃線探索中は傍から見るとアヤシイ人に見えるので(笑)、
極力、現地の人と思われる方に会った時は話をするようにしてました。
上山田線真崎駅跡で話したおじいさんは会話中に「油須原線」という言葉が出てきて、
地元の方にとっちゃココは油須原線なんだなぁ・・と感じたことを思い出しました。
もう10年以上前ですが、筑前宮田駅で会ったおばあさんは貝島炭鉱の話を延々としてくれました。
鉄道も炭鉱も現地の人の話ほどリアルなものはありませんからねぇ。
いつも拝見させて頂いております。
12月の嘉穂信号場跡地の工事が始まったとういう情報を流してもらい、居ても立ってもという感じで、1月17日に信号場に出かて見ました。間に合ったという感じで助かりました。その時の様子をブログに書きましたのでお暇でしたら眺めてください。http://kunitonkenjiro.cocolog-nifty.com/blog/
です。
毎週の視察お疲れ様です。
日吉巻揚踏切の終点方端部に工事用の赤杭があったのですが、なくなっていますね・・。
おそらく次の工区では、対象エリアなのかも・・。
柵にレールが使用されていたとは!よく気がつきましたね!
1925年とは、この当時からレール刻印があったのに驚きです!!