補遺データ

Category:廃線・未成線 コメント(4)
JTBが1998年に発刊した「停車場変遷大事典 国鉄・JR編」補遺データのサイトを見つけたので、とりあえずメモ・・。このサイト、昔はブックマークに入れてたんですが、URLが変わってて探しだせませんでした。「嘉穂信号場」でググったらヒットしたので、またブックマーク!

z10.jpg

表紙の箔押しも剥がれ気味、筑豊地区のページだけ手垢が目立つ特別仕様(笑) 他のページの綺麗なこと・・(汗)

以下、自分用メモ

■2-803 駅番 7961 嘉穂(信号場)
S61(1986).04.01廃止 は誤り
※漆生線廃線で分岐点でなくなった後も存置されていた。多分S63.09.01の上山田線廃線時に同時に廃止
※少なくも、「S63.03.13改正」ダイヤには記載あり

■2-803 駅番 7961 嘉穂(信号場) S63(1988).09.01廃止が正当
<典拠:線路使用停止の通達=嘉穂信号場の信号保安設備の使用停止
S63.08.31 23:57(最終742Dの飯塚到着23:50の7分後)>

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コメント(4)

「物好きな男達」のひとりです。
うまいっつ!!
大笑いです。

>倫堕さん
あれだけの量を編集すれば、そりゃ間違い見落としも出ますよね。
ようは校正リストみたいなもんですが、
この本が無くても楽しめる興味深い内容ですよね。

>ちくまえ。さん
確かにそんな(遺構版)本があれば欲しいです。
鉄道の場合はあった場所が特定できますが、
炭鉱の場合は場所数も多いし簡単には特定できませんもんねぇ。

>信号場の最後
私もこの内容を読んでお二人が書いてあるような光景を思わず想像してしまいました。

嘉穂信号場で見送った最後の列車(最終742D)が23時50分に無事飯塚に到着した。
その7分後の23時57分、信号保安設備の使用停止連絡があり電源を落とした。
筑豊の中では比較的短命で列車量も多くはなかったが、信号場としての役目を終えた。
職員は帰りの支度をして最後の確認を終えたあと、静かに扉を閉め鍵をかけて帰路についた。
そして誰も居なくなった。列車も来なくなった。

数年後、物好きな男達が度々来るようになった・・。

こんな感じ?(笑)

これは・・・面白いサイトですね!!
路面電車の最終日の新聞記事に「〇時〇分、送電打ち切り」ってのは読んだことがあるのですが、「最終742Dの飯塚到着23:50の7分後」ってのは、同様に「これで終わりっ」って言う人が居るんでしょうね・・・

他にも「隣接駅間距離は海ノ中道0.9+3.6雁ノ巣 が正当
        ※海ノ中道~雁ノ巣の営業キロ4.4と不一致である
         <典拠:S63.07.11JR九州社達第7号>」
なんて、面白すぎです!!

私もこんな本が1冊欲しいと思っています。(遺構版)
やはり闇雲に探してもですねぇ、効率よく行きたいものです(^ ^)

しかし信号場の最後の修正記述は、なんかジンと来るものが
あります。
最終の気動車が飯塚到着後、C型無線とかで最終連絡して
いたんでしょうね、聞きたかったなぁ

最後に信号場の主幹電源落とした係員さんにも感想聞きたいものです

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