貨物ホーム跡を往く II

Category:鉄道 コメント(2)
鼻風邪の症状は軽くなってきましが、なんか鼻の奥の方で粘度の高いモノが残ってる感じ。
娘は完治して元気が出てきたので「アンマンマン」を見せろ、絵を書けと言ってきます。
おっちー娘の「アンパンマン3段活用」
「アンマン」
「アンマンマン」←今ココ
「アンパンマン」
子供ってホント、このキャラ好きだよね。同じDVDをエンドレスで見せられるので、セリフ覚えますわ・・。

さて、前回に引き続き、貨物ホーム跡を往く。山家とくれば内野ですね(笑)

●筑前内野駅

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uchi3.jpg

2線分ある感じですが、レールは外側だけ残っています。
ここも本線から分岐出来ようになってるので、マルタイとかの保線車両が停まってたりするんでしょうね。

uchi4.jpg

↑左側の草むらは旧上り線跡。ホームはまだ残っています。

ふと疑問に思ったこと。
こういった貨物用側線に留置していた貨車はどのように組成されてたんでしょうか?
貨物列車って最後尾に車掌車が付いていたでしょ。途中駅の貨車はその駅で牽引車・貨車と車掌車を切り離して、間に連結させてたんでしょうか? 上り側・下り側と側線の向きも駅によってマチマチですし。入れ換え方法はどうなってた?
それとも、例えば内野なら内野行きとそれぞれの駅止まりの貨物列車があったんでしょうか?
まだ貨物列車が走ってた頃は、その辺の事情に全く興味が無かったので・・(汗)

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コメント(2)

大事典によりますと筑前内野駅の営業形態は、
1961年/一般運輸営業→旅客手荷及び小荷(不配)
1972年/旅客手荷及び小荷(不配)→旅客
となっています。

山家は末期まで貨物があったように記憶してます・・・うろ覚えですが。
その頃まで貨物列車は走ってたんじゃないでしょうか。

何回も通っている筑前内野駅ですが、こんな貨物ホームがあるとは初耳!!
ましてや、レールまであったとは。
いつまで貨物が走っていたんでしょうか。

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