線路付替跡を往く I

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筑豊本線には開業時と現在とで線路の位置が変わっている箇所があります。
主に橋梁架替えや構内配線の変更などが考えられます。そこには今も煉瓦構造物が残っています。

まずは、新入〜直方間から。
ここは、1891年(M24.8.30)に筑豊興業鉄道により若松〜直方間が新設されたときから存在する歴史ある区間。ここは開業当時は中間〜直方間だった。その後、1893年(M26.4.28)植木シグナル停車場を設置。同年(M26.12.20)、底井野〜植木間複線化時に一般駅「植木」開業(のちに九州鉄道と合併し同名駅があったため1897年(M30.10.1)「筑前植木」になったらしい)。1894年(M27.12.21)、植木〜直方間複線化。1989年(H1.3.11)に新入駅が開業し、現在に至る。ちなみに1911年(M44.2.22)〜1912年(M45.3.20)の約1年だけ、新入仮信号所というなんとも中途半端な信号所が存在していた(何故、仮なんだ?)。位置は筑前植木から1哩とあるので、現在の新入駅とほぼ同位置か?

さて、本題。
新入駅のすぐそばにある遺構から。

●新入橋りょう

shin_b_1.jpg

煉瓦橋台の真上は新入駅。上下線の間に使われていない旧下り線の遺構がある。
現下り線の向うにも数線分、桁があった感じがある。新入駅が出来る前は確か側線があったような記憶が。
パラペット前のコンクリ改修は1960年と結構古い。

shin_b_4.jpg

↑植木側

↓新入側

shin_b_2.jpg

よく見るとなんかおかしくないですか? 真ん中下の方の煉瓦の目地が。

shin_b_3.jpg

積み方おかしいし(笑) しかもこれは下駄っ歯の跡?
上の積み方見ても特に変じゃないし・・。
単線下駄っ歯仕様で作ってたものを途中から複線仕様に積み方を変えたんでしょうかねぇ?

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