たびぼうろぐ 2010.10の最近のブログ記事

45.ラストラン

Category:たびぼうろぐ 2010.10 コメント(10)

美しい車窓を見ながら、美味しい駅弁を食べる。幸せな時間でした。
海を離れて内陸へ進み、高架橋を進んでいくと防府駅到着。この先、大道駅、四辻駅に停車していき、新山口駅到着。

↑いい具合にシルエットになったので、補整して本人登場(笑)
この先、昼飯後のせいか眠気が襲ってきて、ウトウトし始めました。駅に着いては起きて、また寝ての繰り返しで、パッと目が覚めたのは、車窓にアヤシイ線路が見えた時でした(笑) ちょうど、小野田駅と厚狭駅の間に一部で枕木が残る線路があって半藪化していました。これはもしや貨物線跡? 確かここは3線区間だったはず・・・。
厚狭駅を過ぎ、埴生駅、小月駅、長府駅と停まる度にお客が増えていきました。新下関駅では新幹線の引込線があって、100系新幹線が留置していました。そして、山陰本線と合流して幡生駅到着。幡生と言えば幡生工場ですね。今は名前が違うんでしたっけ。幡生操車場の広い空き地を見ながら進むと終点下関駅到着。ここで乗り換えていよいよ九州に上陸です。

広島から乗ってきた115系に別れを告げ、関門トンネルを抜ける列車が待つホームへ移動。広セキG-01編成の広島側の車輌も、かつてはデカ目だったようで、小型のシールドビームの下にその痕跡がありました。

次の列車は小倉行きの415系1500番台。これを見た瞬間、あぁ、福岡に戻ってきたんだなぁ・・・と、妙な安心感がありました(笑) 同じ型の車輌は、小山駅から友部駅までも乗ったけど、感じ方が違いますね。方向幕に「小倉」と表示してあるせいもあるでしょうね。発車案内がLEDじゃないところがいいですねぇ。

13時12分/5169M・小倉行き発車。
下関駅から関門海峡側へ続く側線やその跡を見ながら進み、関門トンネル突入。今回の旅で何度目だろう・・と思いながらデットセクションを通過して門司駅に到着。そのまま小倉まで乗ってもよかったんですが、最後の列車が門司港発筑豊本線経由博多行きだったので、おそらく小倉で大量に乗ってくるだろうと予想して、手前の門司駅で降りました。

門司駅では少し時間があるので、下車印をもらって出場して、しばらくブラブラしようと思いましたが、旅の4日目ともなると疲れが出やすく、ムダに動かんどこう・・・と思って再入場。ホームで待つことにしました。ホームにある、うどん屋からイイ匂いがして、思わず一杯食べようかな・・・と思いましたが、家で食べる久しぶりの晩ご飯に影響が出たらイカンと思い、止めときました(笑)

いよいよ今回の旅の最後の列車となりました。最後の列車は見慣れた817系。
携帯で撮ったので、おかしな形になってます・・・。

13時32分/4645H・博多行き発車。
そこそこの乗車率でしたが、窓側に無事着席。福岡に戻った安心感か、目をつぶると寝そうでした。小倉駅で大量に乗ってきて、西小倉駅を過ぎた辺りまでは覚えているんですが、それ以降の記憶が無いので、寝てたんでしょうね。気が付いたら直方駅でした。直方駅では跨線橋の解体工事が行なわれてて、ビックリして目がシャキッとなりました。その後、乗り慣れたルートで各駅に停まっていき、飯塚駅に到着。ホームに降りると、改札の向うで嫁と娘が待っているのが見えました。跨線橋を渡り、改札前に来ると「パァ〜パ〜!!おかえり〜」と娘の声。疲れも眠気も吹っ飛びました。

到着の記念ということで嫁に携帯を渡して写真を撮ってもらう。普段はこんなことしないんですが、長旅を終えた達成感でハイテンションになってたんでしょうね。改札で切符に乗車記念の無効印を捺してもらい出場。娘を抱き上げて、無事に帰ってこれたことを素直に嬉しく思いました。

↓今回の旅の下車の記録。旅の達人からすれば少ないハンコ数でしょうが、私は満足!!

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長々と続いた「たびぼうろぐ」は、これでおしまいです。
小学生の絵日記みたいな、お恥ずかしい文と写真でしたが・・・
皆様、お付き合い頂きまして誠にありがとうございました。
お出口は「ctrl+W または command+W」となっております。

44.ちょっと寄り道

Category:たびぼうろぐ 2010.10 コメント(3)

次の列車は、下関行き。やって来たのは、またしても115系「広セキG-01」編成。ニヤリ再び(笑)

9時00分/537M・下関行き発車。
結構な乗車率で出発しましたが、新井口駅、廿日市駅で殆どの客が下車していき、
宮島口に着いた時にはガラガラになってしまいました。

車窓に静かな海と宮島を眺めながら、のんびり進んできます。玖波駅あたりから前方に工場群が見えてきました。夜になると綺麗なんでしょうねぇ。最近は北九州でも夜の工場萌えツアーがあるようです。
大竹駅を過ぎて鉄橋を渡った所でアヤシイ場所がありました。

これは間違いなく廃線跡でしょ? いいねぇ、工場に向かって続く緑の盛土。帰宅後に調べてみると、三井化学岩国大竹工場へ続く専用線跡のようです。旅先で廃線跡を偶然見つけるワクワクしますね(笑)
そんなこんなでもうすぐ岩国駅。最初の予定ではそのまま下関駅まで向かうつもりでしたが、岩国? あ、岩徳線があるじゃないか!と思い出しました。急いで時刻表を調べてみると、丁度良い時間に乗り換え可能、しかも徳山では、今乗っている下関行きと接続してる。なんてグッドタイミングなんでしょう。切符の運賃計算は山陽本線経由でも岩徳線経由で計算されますしね。ということで、岩国で下車して岩徳線に乗ることに決定
岩国駅到着。早速、岩徳線のホームに向かう。岩徳線は駅舎に一番近い1番のりばにあるんですね。
列車はキハ40の単行が入線済。とりあえず下車印もらって再入場して乗り込みました。

お客はボックスに1〜2人座ってて、ロングもそこそこ埋まっていました。内陸部を通るローカル線だしガラガラだろう・・・と思ってましたが意外に乗ってて。岩徳線に対して失礼なイメージを持ってた自分を反省(汗)

9時56分/2229D・徳山行き発車。

最初の停車駅は西岩国駅。ホームが長く、背面からしか見えませんでしたが駅舎も大きくて驚きました。木製のラッチも残っていて雰囲気の良い駅でした。開業当時は岩国駅だったそうです。その次の川西駅からは、かつての岩日線、錦川鉄道が分岐していますが、次の駅間にある分岐点を見落としてしまい確認出来ず・・。次に柱野駅を過ぎた所で、長いトンネルに突入。欽明路トンネルというそうな。このトンネルにはかつて排煙装置が付けられていたそうです。これも見逃してしまいました・・・。トンネルを抜けて欽明路駅に停車し、次に玖珂駅に停車します。ここで、お客の半分程が入れ替わりました。
次の周防高森駅は長いホームと広い構内が印象的でした。さすが、山陽本線を名乗っていたいただけはありますね。ここでも数名、お客の入れ替わりがあり、お出かけ仕様の若い女の子グループや中学生?高校生ぐらいの若造グループが乗ってきました。これまで、おいちゃんおばちゃんばかりでしたが、乗客平均年齢が一気に下がりました(笑)
このあたりから、急激に眠気が襲ってきました。目が覚めたら新幹線の高架が横を通っている周防花岡駅でした。ここで、学生、若者のみが大量に下車していきました。何か集い(笑)でもあるのか、若者に人気のスポットがあるのか知りませんが・・・。一気にガラガラとなり、山陽本線との合流点、櫛ケ浜駅に着きました。

そのまま山陽本線を下り、徳山駅到着。この間、海側の車窓には工場が広がり「工場萌え」にはたまらない区間です。夜はとても綺麗で、昔、東京行の寝台特急に乗った時、ここを通るのが楽しみでした。
山陽本線のホームには広島から岩国まで乗っていた下関行きの列車が停車中。下車印はゲットせずにそのまま乗り換えました。時刻表を見ると、この下関行きの列車は徳山駅で約15分停車しているんですね。最近の列車では珍しい長時間停車ですよね。

11時15分/537M・下関行き発車。
次の新南陽駅のホームには煉瓦積みが残っていて萌えました。煉瓦が残るホームは北九州・筑豊にもありますが、山陽本線にもあるんですね。歴史が古いからねぇ。次の福川駅を過ぎ、その次の戸田駅では、EF65-1000番台に牽引された、空荷のレール輸送列車とすれ違いました。EF65なんて久しぶりに見ましたよ。ナンバーがブロックタイプのやつだったので、昭和50年初期に製造された後期型で、EF65の中では新しいタイプなんですが、色褪せてて、かなりくたびれてる印象でした。私らの時代は、EF65-500、EF65-1000といえばブルートレインを牽引する花形機関車で憧れの的でした。その後、牽引をEF66に奪われてしまい、挙げ句の果てにはブルートレインの全廃・・。

当時の仲間たちは新鋭機関車の登場で、次々に消え去っていってるようですね。
まだまだ全廃とまではいかないでしょうけど。ブルトレ世代のおっさん達に「お、あいつらまだ頑張ってるな・・・、まだまだ俺も・・・」と元気を与えて下さいな。

戸田駅を出てしばらくすると周防灘へ抜けます。ここから、次の富海駅のちょっと先までの区間は、車窓に穏やかな海が広がります。山陽本線で好きな所の1つです。富海駅に着いたところで、少し早めの昼食にします。

広島駅で買った「しゃもじかきめし」です。箱を開けると、赤いしゃもじ型の弁当箱が出てきました。

フタを開けると、かきめし、かきフライ、かきの味噌和え、煮かき、じゃこ煮、
色んな方法に調理されたカキがどっさり!!これは美味そうだ

私が食べる量的に少ないかなと思いましたが(汗)、全然問題ありませんでした。

美しい景色を見ながら食べる駅弁は最高ですね。

43.さらに西へ

Category:たびぼうろぐ 2010.10 コメント(6)

目が覚めたのは、ちょうど兵庫と岡山の県境の上郡駅〜三石駅間でした。時刻は6時ちょっと前。セットしておいた携帯電話のアラームでバッチリ起きれました。外は夜明けというより、朝の空でしたが朝日はまだ昇ってませんでした。昨日の酒も全く残ってないし腰の痛みも無い。ぐっすり熟睡できたようです。気分の良い目覚めでした。岡山駅までは30分ちょっと。急いで支度をして到着を待ちます。

新幹線の高架が並ぶともうすぐ岡山駅。写真は携帯で撮ったので、架線柱が斜めになっちゃってます・・。個室内には電気カミソリ用のコンセントがあったので、携帯電話の充電器を繋いでフル充電になったところで、デジカメの電池を充電するつもりだったんですが、そのまま寝てしまいました・・。帰り着くまで持つかな・・。

6時27分、岡山駅到着。次は三原まで新幹線に乗ります。乗り換え時間は10分なので、早歩きで移動。ちょうど、跨線橋の階段前で「出雲」と「瀬戸」の分割作業が行われていました。ギャラリーもそこそこ居る様子。最後まで見たかったんですが、新幹線乗り換え口まで遠そうなので切り上げて連絡通路を急ぎます。

出発から使い続けた片道切符は、ルートが6の字となる京都市内で打ち切られるので、帰りの切符は京都市内発になります。こちらは行きのようなヘンテコな経由地じゃないのでマルス発券の普通の切符です(笑)。新幹線の切符と乗車券を一緒にして自動改札へ通します。高崎や横川で寄り道した時を除けば、行き帰りの乗車券で自動改札を通るのは初めてです。

これから乗る新幹線は「こだま725号・広島行き」
その後の「のぞみ」で帰れば、午前中には帰宅出来るんですが、せっかくなので長く旅したいと思い、嫁から出された限界帰着時刻まで乗り続けることにしました(汗) 山陽本線をひたすら下っていく行程を考えた時、岡山〜三原間で新幹線を使うと、ちょうどいい時間に帰宅出来るんです。
今回の旅で使っている時刻表には500系の記載が無かったので100系だな・・と予想していました。100系デビュー時のカラーリングに戻された編成があると聞いていたので、ちょっと期待していたんですが、ホームに上がると新塗色の100系が入線していました。残念。

まぁそれでも、0系無き今、最古参車となってしまった列車に乗れるのは嬉しい。

駅前のビルの隙間から朝日が射し、まだ人もまばらな静かなホームを眩しく照らしていました。

最後尾の車輌に乗り込む。全車自由席でシートは2列+2列。非常に快適です。しかも、お客は私ひとり。

6時27分/725A・こだま725号発車。
結局、この車輌に乗っているのは私だけ。完全な貸切車輌となりました(笑)

朝日に照らされる岡山の街を見ながら、三原駅を目指します。トンネルを抜けて伯備線が横を通る高梁川を渡り、いくつかトンネルを抜けると新倉敷駅。その後、車窓は断続的なトンネルで単調になったせいか、少し寝てしまったようで、気が付いたら福山を通り越して新尾道駅に着いていました。出発後、すぐに列車とすれ違いました。目の前を流れていく青色。もしやこれは100系の国鉄色?あっという間の出来事でした・・。そして、またトンネルへ。抜けるともう三原駅でした。さすがは山陽新幹線、景色を楽しむヒマもありません(笑) 三原駅での乗り換え時間は5分。ゆっくりしてられなかったので、乗車記念特急券ゲット&下車印ゲットはしないで、そのまま自動改札を通り山陽本線のホームへ進みました。程なく、115系が入線してきました。ニヤリ。

7時24分/333M・広島行き発車。
私が乗った車輌は各ボックスに1〜2人埋まる程の乗客。おいちゃん、おばちゃん、学生さん、中学生ぐらいの女の子たち。日曜の朝なのに意外に乗ってるんだなぁ。みんな広島に向かうんだろうか。列車は、沼田川に沿って山の中へ進んでいく。次の本郷駅を過ぎた辺りから山と川に挟まれた所を進みます。すると目の前に、JR線と道路と沼田川が通る谷を跨ぐ、大きなアーチ橋が見えてきました。かなりの大きさです。乗車位置が悪かったので写真に収めることは出来ませんでした。帰って調べてみると、広島中央フライトロードという道路の「空港大橋(仮称)」というアーチ橋だそうで、まだ建設中とのことでした。橋長800m、アーチスパン380m、地上高190mで、完成すれば日本一のアーチ橋となるようです。列車がアーチ橋の真下を通ると、その大きさに圧倒されました。
周りを山に囲まれて左に右にとカーブしながら、河内駅、入野駅、白市駅と停まっていきます。次の西高屋駅辺りから開けてきて市街地が見えてきたところで西条駅に到着。西条駅は、この先の瀬野駅〜八本松駅間の急勾配「セノハチ」を越える貨物列車に連結された補機「EF67」の切り離しが行われるので、そのせいか側線が比較的多くありました。ここでは広島へ向かうお客がドッと増えました。
次は八本松駅。ちょっと前まで、この駅で走行中の補機解放が行われたようです。ここを通るのは10数年ぶりです。前に空中写真でこの辺りを見ていると、八本松駅から続くアヤシイ線路跡っぽいものを見つけました。調べてみると、かつての弾薬庫に繋がっていた引込線跡とのこと。それを目で追いながら、瀬野八を下っていきます。上り線の向こうに、いかにも線路があったっぽいアヤシイ空き地が線路に沿って続いていました。本線が下り始めそうな所で、山側へ別れた所に桁が残っている橋梁跡がありました。ちょっと感激(笑) 程なく、EF66に牽かれた貨物列車とすれ違い、長い編成の最後尾には補機のEF67が押し上げている様子が見えました。途中にあった勾配標をチェックすると「22.5‰」長い下り坂を右に左に蛇行しながら下っていきます。
斜面に広がる住宅地と、そこへ繋がるスカイレールが見えてきたら瀬野駅。生スカイレールを見るのは初めてかも?建設中の時に見たような気もするけど・・う〜ん、記憶が曖昧。その後、次第に車窓は山から街に変っていき、駅に停まる度にお客が増え、海田市駅に着いた時には多くの立ち客が居るほどになっていました。

8時39分。終点の広島駅到着。列車から一気に客が降り、列車を待つ客もいるためホームはごった返していました。三原から乗ってきた列車は「広セキ C-16」編成。先頭車は確認出来ませんでしたが、三原寄りの車輌の前照灯はシールドビームですが、元々デカ目だったようです。デカメスキーな私としてはちょっと残念。
次の列車までは20分ほど時間があるので、朝食&昼飯調達をします。下車印を貰って出場。すぐに駅弁屋が目に入り、サンプルを見ながらどれにしようか考える。さんざん悩んだ末、入れ物の形が気に入った「しゃもじかきめし」に決定。再入場し、1番のりばにあるうどん屋で朝食。

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